おじいちゃん家族との交流で成長する子どもたち (C)2009 TOROCCO LLP
おじいちゃん家族との交流で成長する子どもたち (C)2009 TOROCCO LLP

昭和30年代、東京の下町にもトロッコはまだ身近にあった。工場の資材置き場や跡地に残された錆びた線路。動いていても錆ついて捨てられていても、子どもにとっては夢の乗り物の運転手に変身させてくれる格好な道具だった。時折、鳴りわたる「こらーっ!危ねぇじゃないか」の怒声。おじさんたちは、時に怖く、それでいて気さくな言葉をかけてくれる、人と人の絆を持ち合わせてくれていた。遊びすぎて、親に叱られるのではないかと夜道を帰る時のやるせなさや不安。

芥川龍之介の短編をモチーフに脚色した川口浩史監督の初作品「トロッコ」を観ていて、そのような懐かしい原風景が甦ってくる。

物語の舞台は、急逝した台湾人の父の遺灰を母・夕美子(尾野真千子)と小学生の息子・敦と弟の凱(とき)の3人が、台湾の“おじいちゃん”(ホン・リウ)家族のもとへ届ける現代に置き換えている。父の実家の周囲に広がる山間の緑林の美しさ。撮影監督のリー・ピンビンのカメラが時にリアルに、時に神秘的な木々の呼吸さえ感じさせてくれる映像で芥川作品の風景を緑林に映しだしている。

嫁と孫たちを迎える“おじちゃん”は、日本がかつて台湾を統治していた時代に日本語教育を受けていて、いまも片言ながら日本語を話せる。亡父が持っていたトロッコを押す子どもの古い写真。写っている子どもは、父ではなく“おじいちゃん”だった。自分の村で伐採された木が日本に運ばれ明治神宮や伊勢神宮に使われていることが誇りで、「このトロッコの線路を行けば、日本に行けると思っていた」という“おじいちゃん”。家族の長としての威厳を持ちながら、父親の急逝の悲しみ辛さを心のうちに押し隠している敦の想いを、理解し受け止めている優しさがにじみでる。

トロッコで山に行く敦(左)と凱 (C)2009 TOROCCO LLP
トロッコで山に行く敦(左)と凱 (C)2009 TOROCCO LLP

◇向き合えない心を再生する絆

川口監督は、戦争が終わった途端に日本から捨てられた“おじいちゃん”を通して、日本国籍を有していないため従軍経験があっても「恩給欠格者」通知一本で“おじいちゃん”と向き合おうとはしない日本の実情も織り込んでいく。「僕は日本人なの?、台湾人なの?」と心の不安を問う敦。国と個人、嫁と舅、祖父と孫、人と人、さまざまな絆が薄れゆくように感じられる現代に、川口監督はその重なり合い、撚られていく絆の再生を語りかけてくる。

台湾に残り、亡父の両親と暮らそうかとも考えた夕美子に、“おじいちゃん”は「来てくれただけで十分だ」と夕美子を受け止め、日本に帰るように優しく勧める。そのまなざしは年長者としての尊厳さえ感じられて、聖書の世界から読み取れる家族の原風景とも、どこか重なり合う。

弟とトロッコに興じていた敦たちは、夕刻の山間を線路伝いに帰路につく。暮れゆく森林の中で不安から泣きじゃくる凱。弟をなだめすかしながら泣きたい気持ちを抑えて家路を急ぐ敦。子どもたちを探し回り玄関先にしゃがみこんで途方に暮れていた夕美子。ここにも切れ掛けていた母と子の絆の再生が必要だった。家にたどり着き、母と敦の心が向き合えた時のシーンがなんとも印象に残る。

いま、日本では「トロッコ」が残っていないという。台湾の緑林を走るトロッコを通して映しだされる家族の原風景。音楽を担当した川井郁子のバイオリンが、木々の緑にこだまして今も聴こえてくる。  【遠山清一】

川口浩史監督作品(1時間56分)。脚本:川口浩史、ホアン・シーミン。製作:ジェイアンドケイ・エンターテイメント(株)、配給:ビターズ・エンド。5月22日よりシネスイッチ、横浜ニューテアトルにてロードショーほか全国順次公開。

公式サイト:http://www.torocco-movie.com