Movie「彼女が消えた浜辺」――イスラム女性の深層描く心理ミステリー
女性は、黒髪から首まで覆う長いスカーフかチャドルを被り、体の線がでないようロングコートやゆったりした服を着ることが強いられている国イラン。その外面的なイメージは、イスラム教とキリスト教あるいは保守的な文化と自由主義というような対比も絡まり、ある種の固定観念を植え付けられているのかもしれない。そうした様々な制約を受けているイスラム圏の女性の在り方、また30代―40代の新しい世代が、西欧社会との関わりの中で培われつつある価値観と伝統的社会通念のはざまに生きる’いま’を描いている深層心理ミステリー映画の秀作。
このミステリアスなサイコドラマは、ストーリー展開の興味深さにとどまらず、自立しようとする女性の心の奥底を太陽と海の光のなかで美しく描き出している。
保育園で保母をしているエリは、子どもを保育園に預けているセピデーら3組の夫婦と離婚経験者のアーマドと、テヘランからカスピ海沿岸のリゾート地に1泊の約束で向かっている。セピデーは、アーマドをエリに紹介する目的でこのヴァカンスに誘った。
3組の夫婦らもアーマドもエリのことは気入ったが、エリにはどこか悩みを持っているような雰囲気が見え隠れしている。浜辺の借家で、ゲームしながら打ち解け合ったものの、エリはやはり予定通り一泊で帰ると言う。引き留めようとするセピデーたち。食事の支度をしている間、子どもたちを見ていてほしいと頼まれたエリ。男たちは浜辺でビーチバレーを愉しんでいる。その時、ショーレとペイマンの子アラーシュが溺れていると子どもたちが親たちに知らせるため駆け込んできた。全員で必死にアラーシュを救出したが、1人エリの姿がどこにも見えないことに気づく。
子どもたちが知らせに来ている間に、助けるため海に入って溺れたのか。いや、その前に1人で何も言わずに帰ってしまったのか。だが荷物は全部置いたままになっている。捜索に来た警察への状況説明をしていくうちに、エリという愛称の本名を誰も知らず、住んでいる場所や家族のことも何も分からないこと明らかになっていく。エリはいったい何者なのか?。何のためにこのヴァカンスに参加し、それでいながら何故急いで帰ろうとしていたのか。
そのうちエリの携帯にかかってきた兄と名乗る男から連絡がきた。彼とのやりとりをきっかけに、次第に分かってくる真実は、セピデーら全員を苦しめていくことになる…。
電車やバスなど公共の乗り物さえ男女別に車両や座席スペースが決まっており、高校までは男女別学でデートなどの男女交際は大ぴらにはできないイラン。女性への様々な制約も厳しく、名誉を重んじる伝統文化と価値観の中で、エリの心の中に起こっていた苦悩のうねりが解き明かされていくサイコドラマ。
この作品の邦題は象徴的だ。浜辺で子どもたこ揚げを手助けするエリ(タラネ・アリシュスティ)が、空を見上げ風と光を感じながら次第に輝いていく表情の美しさが印象に残る。このシーンを最後にエリは忽然と消え、そして彼女の心の奥底に潜んでいた深い想いが、紐解かれていく。 【遠山清一】
監督/脚本:アスガー・ファルハディ。イラン映画、116分。配給:ロングライド。9月11日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町にてロードショーほか全国順次公開。