難波信義  日本基督教団熊本草葉町教会牧師

そこでふたりは話し合った。「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」

ルカの福音書24章32節

 ルカの福音書は、空っぽになった墓と、天使たちによる「なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか」との言葉を通して主の復活を伝えていますが、その直後に、一つの不思議な出来事を伝えています。「エマオへの道」(ルカ24章13〜35節)と呼ばれる場面です。

 「ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた」(13、14節)と始まっていますように、彼らはエルサレムから離れて行きます。彼らは希望を失った人たちでした。イエスさまが死んでしまったからです。もうキリストの弟子としてエルサレムに留まる理由もない…。

 このように、彼らの絶望からこの場面は始まっていますが、この場面の最後には、なんと彼らは再びエルサレムにいるのです。再びキリストの弟子としてそこにいるのです。一体何が、彼らをそうさせたのでしょうか。

 主が目を開かれる時

 彼らが話していた「いっさいの出来事」とは、主の十字架の出来事です。「なぜ、私たちの大切なイエスさまが、十字架につけられなければならなかったのか…」という議論もあったでしょう。あるいは「私たちは何故、イエスさまが捕らえられた時、逃げ出してしまったのか…」という反省もあったでしょう。そのように論じあっている彼らに、復活の主が近づいてきたのです。

 「しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった」(16節)。さらに、「それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった」(31節)とも伝えられています。つまり、共に歩まれる復活のキリストは、目が開かれて初めて認識される、ということです。これは非常に象徴的な場面だと思います。目が遮られて分からないけれども、復活の主は共にいてくださるのです。この弟子たちのように、主を捨てて、全く関係のない方に向かおうとしている、そういう者にも主は共にいてくださるのです。そして私たちは時々、目が開かれて、後からそれが分かるのです。「あぁ、あの絶望の時に、イエスさまが共にいてくださった」「あぁ、あの深い悲しみのどん底に、イエスさまが一緒に居てくださった」と。

 それだけではありません。イエスさまは「気付きの体験」をも私たちに示してくださいます。「彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された」(30節)。まるで家の主人であるかのように振る舞う主が、パンを取り、祝福してそれを裂き、渡されたのです。これによって、弟子たちの目が開かれました。

 しかし実に奇妙な表現です。「目が開かれ、…見えるようになった」ではなく「目が開かれ、…見えなくなった」というのです。しかし、この表現もまた象徴的です。結局、キリストが目に見えるか見えないかは大して重要ではない、ということを示しているように思います。そして本当に大切なことは、今まで共にイエスさまが歩んでくださったし、これからも共に歩んでくださるのだと確信することなのです。

 復活のいのちに生きる

 この場面の弟子たちも、この確信に立ったからこそ言ったのです。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」(32節)。これが「気付きの体験」です。失望していた彼らの内に、命の火が灯ったのです。死んでいたような彼らの心の内に、命の火が灯ったのです。だから彼らはエルサレムに戻って行ったのです。

 ここには、今日もなお教会の内において起こっている事、起こり得る事が示されています。すなわち、復活のキリストの働きによって私たちには喜びが与えられ、それゆえの賛美がわき起こるのです。復活のキリストの働きによって、悲しみと失望によって沈んだ心に、命の炎が燃えあがるのです。そしてそれは、「見える」ということよりも、「主が共にいる」ということを信じることから始まるのです。キリストが私たちと共に、その人生の道のりを歩んでくださる、そのことについて目が開かれ、信じられるようになることが重要なのです。

 熊本を襲った地震から1年が過ぎました。いまだ困難な生活を強いられている方々、先の見通しが立たない方々がたくさんおられます。「復興」という言葉の遠さ、重さを感じずにはいられません。しかしこの1年の歩みを振り返るとき、そこにさまざまな「気付きの体験」があったことを、感謝を持って、一つひとつ思い起こしています。個人でも教会でも、信仰の友とのつながりを強く実感し、励まされ支えられ、そうやって絶望のふちで涙する私たちに、何度も命の炎が燃え上がりました。その中心に復活の主が立っていてくださったから、喜びが与えられ、賛美がわき起こったのです。

 大災害を前に「見えない」神に困惑し「ここに神はいるのか」と問う人がいます。しかし復活の主につながる私たちは、「見える」ということよりも、「主が共にいる」ということを確信し、力強く歩み出すのです。

4月16日号イースター特集に掲載
クリスチャン新聞WEB版
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 = 1 面 =

★  イースター特別号メッセージ「主が共にいる」難波信義(日本基督

教団熊本草葉町教会牧師)

★イエスの墓を模したナチュラルガーデン--造園家  三井宣太郎さん

 = 2 面 ニュース=

★「国や政治の課題」を神学的に--「『教会と政治』フォーラム」発足

★広がるひろ君を救う輪--募金1億9千万 渡航までもうひと息

★熊本・大分地震から1年--4、5月に現地で祈念集会

★<落ち穂>本紙創刊50周年、もう一つの使命

 = 3 面 ニュース =

★良き訪れをたずさえて~地域の福祉を担う[23] 記・井上貴詞

★インド宣教レポート・日本福音宣教会

--ヒンズー教至上主義の圧迫下でも大胆な伝道の機会

★ローダス・元アルゼンチン代表 エスペランサに入団

★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか

 = 4・5面  宿泊特集 =

★渓谷歩きで奥多摩の春楽しむ--奥多摩バイブルシャレー

★若者が集まれる場所に--須賀川シオンの丘

★「教会のあるホテルなら安心」--ホテル・ザ・ルーテル

 = 6・7 面  イースタースペシャル =

★“いのち”を救う神に支えられ--腎臓移植のドナーになったAさん

★復活・リバイバルの意味を込め--全国都市緑化よこはまフェアで展示

★銀座教文館でイースターフェア-- 認知から深まりへ

★映画、アニメ、紙芝居で「復活」を伝える

 = 8 面 全面広告 =

☆日本宣教フェスタ 5月5日~7日

大阪府立国際会議場(グランキューブ大阪)

 = 9・10 面 PRのページ =

☆教団・伝道団体・医療機関・企業

 = 11 面 伝道・牧会を考える =

★アートが描く「現実」[2]展示「七つの詩~あれから6年 僕らが

みているフクシマ~」から

★N・T・ライトの神学とは[65] 第5章 堕落について

 = 12 面  持続可能な社会を目指して =

★クリスチャンは「地の塩」対話の触媒

--日基教団 京都で 国際青年会議
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