映画「わすれな草」――母の記憶から消えゆく人生と時代への追憶と敬慕
認知症は、家族にとってなんとも切なくつらい思いにさせられる病だ。長年連れ添った伴侶や親の記憶から自分の消されていく喪失感は耐えがたく、介護の世話も重荷になりかねない。それでも、家族で支え寄り添っていくとき、たとえ本人の記憶はよみがえらなくとも互いに愛情の絆でひとつに結び合っていることの感謝と尊敬が湧いてくる。そうした励ましと温もりが伝わってくるドキュメンタリーだ。
【あらすじ】
ダーヴィット・ジーヴェキング監督は、両親が暮らすフランクフルト郊外の実家に帰省した。母グレーテルが4年前にアルツハイマー病を発症し、その介護を手伝うためだ。大学で数学を講じていた父マルテは、教師引退後は、研究と旅行を楽しむのが夢だったがいまはグレーテルの看病や家事などの世話にかかりきりの日々。さすがに疲れ切っている。
大学で言語学を修め、テレビの教養番組で司会を務めていた母グレーテルと数学者の父マルテというインテリジェンスがあり自立したクールな結婚生活を過ごしていた両親は、三人姉弟の末っ子ダーヴィッドにも理想的な姿に写っていた。ダーヴィッドは、マルテや家族から聞いた話や日記を紐解くことで、本人の記憶から消えていく母グレーテル物が歩んできた人生の物語を追っていく。
1960年代半ば、大学で出会った二人は社会主義ドイツ学生連盟(SDS)の活動に参加し、やがて結婚する。子育てしながら学生デモに参加するグレーテルについたあだ名は“革命の母”。二人は大学を追われ、マルテがスイスで大学助手の職を得てチューリヒ移り住んだ。スイスでも社会主義運動の活動を続ける二人は、警察当局の監視下にありマルテの契約期間が終了するとドイツへ帰国。マルテは、フランクフルト大学で教師に就職し、グレーテルも高齢になるまで社会活動を続け、緑の党の結成などにもかかわっている。
二人は、結婚するとき互いに浮気を認め合う“開かれた結婚”を約束していた。マルテが望んでいたことだが、グレーテルも感情的に嫉妬し相手を人格否定するような人間にはなりたくなかった。そのような二人結婚関係を当時の社会活動家らのインタビューやグレーテルの日記などから掘り下げていくデーヴィッド。互いに70代に達してマルテは、妻の心を思いやれなかったことに心が刺される…。
【みどころ・エピソード】
60年代後半のSDSの運動が、労働者との連帯よりも反ベトナム戦争や第三世界での解放運動との連帯へ転換していくニュース動画や写真などで時代の転換期の様相とグレーテルが生きた情熱を浮き彫りにしていく。互いの自律と理性を重んじる在り方として選択した“開かれた結婚”だったが、妻が認知症になってマルテは妻に対して自分は何者であり、どのような関係であったのかを見つめなおす。その心の疼きが、批判ではなく人間の弱さと悔悟への真摯な思いやりに満ちていて心に響いてくる。
認知症の母の行動は、時におかしく時には家族の思い出を呼び覚ます。家族が母から学んだことは「愛情を直接示すこと、触れ合いを持つこと、そして一緒に寄り添うことが、家族にとっていかに大切で価値があるかということ」と語るデーヴィッドの言葉は、革新的な思想や心情を超えて人間の存在の本質と愛情の奥深い豊かさを表わしているようで印象深い。 【遠山清一】
監督:ダーヴィット・ジーヴェキング 2013年/ドイツ/88分/ドキュメンタリー/原題:VERGISS MAIM NICHT 英題:FORGET ME NOT 配給:ノーム 2017年4月15日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開。
公式サイト http://www.gnome15.com/wasurenagusa/
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*AWARD*
ロカルノ映画祭批評家連盟賞受賞。モントリオール国際映画祭正式作品。ヘッセンシャー映画祭ベストドクメンタリー賞受賞。ライプツリッヒ ドキュメンタリー映画祭ドイツ文化ドキュメンタリー賞受賞。ドキュメンタ・マドリッド審査員特別賞受賞。