(C)2011映画「マイ・バック・ページ」製作委員会
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1971年(昭和46年)に埼玉の陸上自衛隊朝霞駐屯地内で歩哨に立っていた自衛官が刺殺され、現場に新左翼のヘルメットが置かれていた朝霞自衛官殺害事件。この実際に起きた事件をモチーフに、理論と力で社会を変えられると若者たちが胸を熱くした時代の青春の挫折を描く。

「週刊東都」の記者・沢田雅巳(妻夫木聡)は、1969年の入社。その年1月に起きた東京大学安田講堂での全共闘と機動隊の攻防をいわば取材する側から見ていた。だが、同じ大学の学生が戦いに敗れていく姿を、ある種の共感を覚える複雑な辛い思いを抱いていた。そんなある日、先輩記者・中平武弘(古館寛治)の任を受けて、指名手配で逃走中の東大全共闘議長・唐谷義朗(長塚圭史)と接触し、全共闘結成会場まで連れ行く。会場では唐谷の来場に沸き上がり、監視していた公安警察とのいざこざに騒然とする。

日本大学の教室では、「哲学芸術思潮研究会」の看板でサークル討論会が開かれていた。「行動しない組織はナンセンスだ!」と熱く議論する片桐優(松山ケンイチ)。過激な論理を確信ありげに主張する片桐にサポートする柴山洋(中村蒼)、討論会に来ていた安宅重子(石橋杏奈)と浅井七重(韓英恵)の3人は、片桐について行き「赤邦軍」としてアパートの一室をアジトにし、行動を起こすための準備をしていく。

ある日、片桐は武力闘争を展開する’京西安保’の幹部・梅山と名乗り、中平記者と沢田に「武器を奪取し4月に行動を起こす」とタレこみ情報を伝え、沢田の実家の離れで取材を受ける。取材を終えて帰るとき、見送りに出た沢田にベテラン記者の中平は「偽者」だと断言し注意する。だが、沢田の書棚から『宮沢賢治論』を読み、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)の「雨を見たかい」を一緒に歌う’梅山’に、なにか共有できる感情を抱く。

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東大安田講堂事件をテレビで見て「これだ!」と思い新左翼運動に入った’梅山’。だが、その東大安田講堂事件以降、全共闘は急速に民衆の支持を失い、新左翼寄りの記事を載せていた「東部ジャーナル」編集部の内情も様変わりしていた。片桐は、71年にその「東部ジャーナル」編集部に異動した。

中平記者から「梅山に近づくな」と再三注意されながらも、’梅山’と京大全共闘議長・前園勇(山内圭哉)と引き合わせるなど片桐は’梅山’と接触していた。だが、まだ行動したことのない’梅山’の持ちかけに、前園は乗ってこない。ついに’梅山’は行動直前に、片桐をアジトに案内し取材させる。「行動したら、独占取材させてくれ」という片桐。そして、テレビのニュースで流れた朝霞駐屯地での自衛官刺殺事件の報道。片桐は’梅山’と会い、実行犯の証拠として自衛官の血痕が付いた腕章を預かる。そして、雑誌と新聞社会部との話し合いでは、’梅山’を政治思想犯として取材源の守秘義務を警察に対して守るべきだと主張するのだが。。。

この作品の題名にもかかわり、主題歌でもあるボブ・ディランの’My Back Pages’は歌う。物事の白黒を付けることにこだわり、善と悪という言葉の定義をしていた青春のあの時代。そのリフレインの終わりにある一節’Ah , but I was so much older then ,I’m younger than that now.’(ああ、あのとき私はとても老いていた。そして今はあの頃よりもずっと若い)。
ベトナム反戦、大阪万博反対なども絡み「学園闘争」とも呼ばれたこの時代。キリスト教主義学校や神学校などでもキャンパス閉鎖、機動隊の出動が起こりキリスト教会も大きな騒乱の中にいた。牧師、教職者もこの世代のクリスチャンも世代の深い谷間のように、減少と教会論的な傷痕を現在に至るまで刻んでいる。この作品のメッセージは、キリスト教界になにを投げかけているのだろうか。   【遠山清一】

山下敦弘監督。2011年/日本/2時間21分/英題:My Back Page 配給:アスミック・エース。2011年5月28日(土)より新宿ピカデリー、丸の内TOEIほか全国順次公開

公式サイト http://mbp-movie.com
公式Twitter http://twitter.com/MyBackPage_528