2017年04月30日号電子版

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写真=羽鳥明氏の遺影(上)。遺族一同で神に賛美を捧げた

4月10日に96歳で亡くなった羽鳥明氏(4月23日号で既報)の葬儀が、4月17日、千葉県市川市の山崎製パン総合クリエイションセンターで行われた。生前その活動に深く関わった、太平洋放送協会、福音伝道教団、ワールド・ビジョン・ジャパン、国際開発救援財団、お茶の水クリスチャン・センターの5団体合同で行われた葬儀では、「福音を恥としない」と日本人の救霊のために生涯を捧げた羽鳥氏を、同労者、教友、後輩らがしのび、故人の遺したものの広さと深さに思いを馳せる時となった。
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葬儀は、榊原寛氏の司会、村上宣道氏の司式で行われた。喪主で故人長男の羽鳥栄氏は「故人略歴」の中で、「1954年から続けて来たラジオ牧師の働きを、2008年に米寿を迎えた時に、自分でメッセージ原稿を書くことが困難になって来たことを自覚し、自ら引退した」と語った。  1972年から羽鳥氏と共に働いて来た村上氏は「羽鳥先生のスピリットを生きる」と題して式辞。2つの忘れられないシーンを語った。一つは羽鳥氏が心臓手術のため日大病院に入院しているのを見舞った時のこと。一緒に祈った時、羽鳥氏は床に跪いて「日本を憐れんでください」。体を震わせ嗚咽しながら「リバイバルを」と祈った。その姿に心打たれた村上氏は、「日本のリバイバルのための一翼を担えるのならば、この放送伝道に献身しようという思いが与えられた」。  もう一つは那須で行われた第3回日本伝道会議。そこで羽鳥氏は「なんとかして日本を福音で満たしたい。1%を越えるために皆が良い証し人になること、教会が一つになるための伝道会議であるのに、いまだに目標からほど遠い。私は敗北の将でしかなく、無念だ」と言って、会衆を前に涙が止まらなかった。「私は先生の涙を忘れることができない」と、村上氏は言う。「この葬儀で、ただ先生を偲ぶだけでなく、私たちがそのスピリットを受け継ぐ決心をするなら、先生は何よりも喜んでくださると思う」と語った。  羽鳥氏の歩みを振り返る映像の中で、召される2週間ほど前、病床で突然語り始めた羽鳥氏の姿が映された。そこでは、自分がいかに神様と出会い、救われたかを証しし、十字架に赦しを請う時、新しい人生が与えられる、とかつてと同じ表情で福音を語る姿を見ることができた。村上氏は先の式辞の中でこのことに触れ、「福音を語ることに生涯をかけて、最後まで語らずにはいられなかったのだろう」と述べた。  お別れの挨拶で、放送伝道で信仰に導かれた原田憲夫氏は「羽鳥先生を立ててくださった神様に感謝したい。その意志を受け継ぎ、たとえ力はなくても、私たちも『返さなければならない負債』を返していかなければならない」。羽鳥氏を宣教師として日本に送った日本福音主義宣教師団のリック・チューマン氏は「羽鳥氏を送ることができたのは光栄なこと。日本が世界をキリストに導くように、これからも宣教師を送りたい」。福音伝道教団の村上隆一氏は「羽鳥氏から組織神学を学んだことが聖書信仰の原点。いつも霊的な渇きを引き起こしてくれた」。山崎製パン株式会社代表取締役社長の飯島延浩氏は、羽鳥氏が関わった働きに一つ一つ触れ「言葉を自分で実践して見せた方だった」と語った。

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その後、羽鳥氏の家族が全員で賛美をし、最後に遺族代表として羽鳥栄氏が挨拶。「主がどれほど父を愛して、用いてくださったかをこの目で見、それを確認するときとなったことを心から感謝したい。その主の業をみなさんでともに受け継いでいただき、日本に主の御国が来るように心から願う」と述べた。