4月30日号紙面:困難を抱える人とより良き社会を 小児医療の地域包括ケアを展開 医療法人稲生会 代表 土畠智幸さん
“包括的”にとらえること
日本で難病を抱えた子どもの割合は増加している。患者、支える家族の負担は大きい。自宅での療養とともに、地域での協力ができないか。札幌市の医療法人稲生会は、従来高齢者が対象とされていた「地域包括ケア」を小児医療の分野で進めている。医療・介護に止まらず、「困難を抱える人々とともにより良き社会をつくる」ことが目標だ。同代表の土畠智幸さんは、診療とともに、制度研究と改革実践を、行政、諸団体と連携し行う。そこには良き知らせ(福音)を実践する土台があった。多文化共生社会における、協働・変革を促すANRCフォーラム第3回で2月に講演した。【高橋良知】
写真=「障害児の保育園」というコンセプトの「短期入所事業所どんぐりの森」(講演スライドより)
ANRC(=All Nations Returnees Connection。青木勝代表)は国際的な移動・交流の多い、「ディアスポラ・クリスチャン」が、異文化による壁を越え、互いに神の家族として繋がり、教会を建て上げ、キリストの平和を世界に広げることを目指す。ANRCフォーラムでは、社会変革・未来貢献を担う次世代グローバル人材や、アジア人ディアスポラの共存・協働の受け皿として、地域・業際連携の情報共有と祈祷連携を推進する。
土畠さんは、JECA・グレースコミュニティ教会員。小児科医となり4年目の2006年に、鼻マスク式呼吸器(NIV)をつけたある患者の家庭を訪ねた。母子家庭で自営業のため、病院通いは困難と考えた土畠さんが自宅への訪問を提案したのだ。
患者と会い「今日はどうされましたか」と言いかかった。病院外での診察は初めてだった。病院で患者を迎えるような態度が出そうになったのだ。「医者は病院の中にいると守られている。白衣という鎧を着て、聴診器という剣を持ち、病院という砦にいた。砦の外に出て行かなくてはいけない」と痛感した。
NIVの患者は増え、病院内にNIVセンターを設立した。さらに訪問診療が拡大することから、独立してクリニックを始めることになった。
地域には、難病の子のために働きを始めていた、「訪問看護ステーションくまさんの手」があり、協力し、医療法人を設立した。
同法人は4つの施設からなる。「生涯医療クリニックさっぽろ」は、在宅療養を支援する診療所だ。10歳から関わり始めた子は20歳になっている。小児だけでなく、一生涯関わる。年間3千件の訪問診療をしている。 「訪問看護ステーションくまさんの手」、「居宅介護事業所くまさんの手」では看護師、介護福祉士が関わる。さらに「障害児の保育園」というコンセプトの「短期入所事業所どんぐりの森」では保育士が関わる。
「母親たちは、人工呼吸器をつけた子を、24時間365日見守っていないといけなかった。訪問の働きもあるが、滞在時間も限られる。子どもたちの横のつながりも必要と、預かり保育が始まりました」 地域の人々に理解を深めてもらう活動にも力を入れる。月1回、コミュニティーラジオ放送局で生放送番組に出演もしている。稲生会ホームページ(Shttp://www.toseikai.net/)では「稲生会図鑑」として、障害当事者のインタビュー動画を配信している。
北海道全域に向けて「種まきプロジェクト」を実施している。道内に小児在宅医療をする拠点はなく、遠方の患者家族から連絡をもらったが、治療が間に合わず、その子が亡くなったという経験があったからだ。道内各地の病院を訪問し、連絡を取れる体制を整えていった。大学病院、小児科医会、道庁に働きかけ、道の事業にもしていった。メディアでも紹介され、視察者、協力者が増えた。
患者家族の交流としては、年1回家族交流会を開いたり、ラジオ放送のつながりで、様々な障害を抱えた家族の文化祭にも関わった。
クリニックのフリースペースでは「手稲みらいつくり学校」を開いている。「お母さんたちは、人生で描いていたことを、子どもの介護のために、あきらめるなどしてきた。単に交流では来づらいという人もいるので、勉強会にした。アロマ講習会や、いろいろなイベントに、お母さんたちが加わっていった。そして母親たち自身で、NPO団体を作り活動もするようになっています」
土畠さんのキリスト教との出合いは、医学部2年時の米国短期語学留学だった。ホームステイ家庭が熱心なクリスチャンだったのだ。「町全体もクリスチャンが多かった。語学学校の先生もほとんど同じ教会の信徒で、学校のイベントも教会でやっていた」と言う。「英語だから日本語では言えないことも言えた」と心の中のいろいろの思いをホストファーザーと話した。 「私は22歳で死ぬと決意していた。普通の家庭だったが、自分が生まれたことに意味はない、価値がないと思ってしまっていた。22歳は大学を卒業する年。『こんな思いで社会に出ては行けない』と思ったからでした」。医学部進学も、「今思うと、『生きていたい』と思っている患者の近くにいれば、生きる意味が分かるのではという思いがあった」と振り返る。 ホストファーザーは1冊の本を持って、土畠さんの疑問に一つ一つ答えていった。それが聖書との初めての出合いだった。
留学の最終日、教会で牧師が、土畠さんのために祈りを呼びかけ、30人ほどの人に囲まれ祈った。幻の中で「お前は生きているのではない、生かされている」という声が聞こえ、号泣した。信仰を告白すると、その夜、洗礼を受けた。
帰国して、2年後に、後に妻になるクリスチャンの女性と出会った。初めて会った日に、「米国に再び留学し、子どもの心臓移植の働きをしたい」と夢を語った。「『心臓に穴ができるのは、神様が間違ってしまったこと。それを神様が直す手伝いをしたい』と語ると、怒られた。『神様は間違わない。心臓に穴があっても、病気があっても同じように一人一人愛している』」と。その後2人は結婚してともに小児科医となり、同じ職場で働くようになった。
センターでの活動を始めた当初「どんなことも細かく指示を出し、決めた通りにしたかった」と言う。だが働きの規模が年々拡大。医療法人化の直前に高熱で寝込んだ。そのとき幻を通して悔い改めに導かれた。「神様からは計画だけをもらい、後は自分の力でやろうと思っていた。だが周りの人たちを愛せていたか。計画を実現するために、まわりを利用していただけではないか」と思ったのだ。そのような中で、サーバントリーダーシップの理論と出合い「コントロールでなく、人を愛し、任せていくようになろう」と考えた。
次の転機は世界宣教に関わるビジョンが与えられたことだ。友人の宣教師から国際宣教運動、ローザンヌ運動を紹介された。同運動のケープタウン決意表明を起草したクリス・ライト氏が講演するということで、昨年9月に神戸市で開かれた日本伝道会議にも参加した。「『医者だが、誰かを救いに導いているのでも、伝道しているのでもない』という、うしろめたさがあったが、ライト氏がまとめた『統合的宣教』に教えられた」と言う。「伝道と社会関与は並行しているだけではない。真ん中に福音というエンジンがある。接する地面としての地域的、歴史的状況がある。世にいながら弟子となる必要がある。福音を告知し、実践において示す。医療、社会奉仕そのものが福音の宣言、良き知らせを伝えることだと思えるようになりました」 「高齢者の地域包括ケアは、『住み慣れた地域で、老いる』とされる。だが小児医療の観点では、ピンとこない。『地域で、ともに学び発達する』としたい。年齢や疾病・病態の包括化、専門家だけでなく住民を含めた主体の包括化、哲学・神学的包括化が必要ではないか」と考える。そこで提案するのは「生涯」という視点だ。
「終末期医療などで、『いのち』の見方は深められてきた。それでも死は外部にあった。死を含めたいのちを『生涯』と考えたい。亡くなった人も、他の人のいのちに影響を与える。地域の歴史、空間、人々との関わりによって、人々の生涯を考えられるのではないか」と述べた。
医療制度を広い視野で見ようと、北海道大学公共政策大学院で学んだ。医学の課題を見つめて、ヘルスケアを住民のもとに戻す趣旨で「医学資本論」を論文としてまとめた。現在も教育学部の博士課程に在学中だ。 「地域に飛び出す医療者をつくりたい」として始まった「メディカルスタジオ」の働きにも協力した。そこで、全人的なケアを学び合う塾「ジェネラリストスクール」を13年に始めた。「年数度の合宿で、ケーススタディーによる課題に取り組み、プレゼンをする。修了生も運営に携わるなど、学び続ける共同体ができてきた」と話す。「今後、クリスチャンに対して同様の働きができないか」と期待する。「病院と社会、教会と社会は似たような関係がある。分けて考えるのではなく、クリスチャンの社会人を励ましたい」。実際に昨年10月、名古屋市でクリスチャン社会人の合宿での学びを実践した。
クリスチャン職員と祈り会を開いている。当初、教会との活動の関わりはなかったが、教会員の若者が就職するようになった。「牧師も祈り会に参加するなど、祈りで支えられる。どう地域に仕えるか、患者に仕えるか、クリスチャンではない同僚に仕えるか、学んで祈っています」
札幌市、北海道庁と協力して道内に小児在宅ケアを進める、北海道小児等在宅医療連携拠点事業YeLLの活動もある。「障害があってもなくても皆特別な人」という価値観を伝えたいと絵本を作成した。絵本をもとにした音楽つき動画も配信している(http://yell-hokkaido.net/749)。
賛美歌「きみは愛されるため生まれた」は家族交流会のテーマソングだ。歌詞の「生涯」を「障害」と読みかえて、「障害」に愛が溢れることを確認している。「障害は『かわいそう』『大変』ではない。神様は一人ひとりを同様に愛している。障害を持つ子たちにこそ、世の光として輝くための特別な使命がある。それをいかに手助けできるかです」