Movie「ブリューゲルの動く絵」――十字架刑のキリストにも鈍感な民衆
映画「ブリューゲルの動く絵」は、16世紀フランドルの代表的画家であるブリューゲルの描いた「十字架を担うキリスト」を題材にした映画作品である。それは、静止している絵をそのまま俳優によって再現するのではなく、描かれた時代の風景や農民の姿、また社会の出来事を物語のように演じていく中で、ブリューゲルがどのような思いを込めてこの絵を描いたのかを観客は知ることになる、ちょっとかわった映画なのだ。
当時の農民社会とイエスの存在
「十字架を担うキリスト」は、拙書『巨匠が描いた聖書』(2009年、いのちのことば社刊)の中に掲載した一枚であるが、どうしても読者に覧(み)ていただきたかったものである。なぜなら、この作品は聖書の中心メッセージをブリューゲル独自の農民社会の背景とキリストの十字架刑に至る姿を見事に重ね合わしている秀作だからだ。
一見、農民の秋祭りの風景か、あるいはフランドル地方の民話が描かれているようであるが、じっと目を凝らして画面の中央に目を向けると、驚くことに、そこには十字架を背負い、そのまま倒れ込んでいるイエスの姿が描かれている。しかし、周りに目を転じれば、当時の農民たちが商売をしたり、喧嘩をしたりして、イエスの存在には目もくれず、何事もなかったような生活に明け暮れているのだ。
ブリューゲルの言いたかったのは、まさにそこである。神がこの罪深い世界にひとり子イエス・キリストを送り、人類がその罪から救われるために十字架にかかろうとしている歴史的重大事にも関わらず、多くの者たちは実に鈍感であったのだ。
いまキリストがここに来られたら
映画ではフランドル地方の農村の夜明けから始まる。最初の30分は台詞が一切なく、様々な音(風車の音、子供たちのはしゃぐ声、ハエの飛ぶ音…)によって、当時の農民の姿を映しだしていく。背後にそびえ立つ岩山の風車小屋の帆がゆっくり回り始め、この風車がこの絵の物語の一部始終を知っている神のような存在であると、後で気づく。映像は、特殊効果と撮影技術を駆使することによって大自然の迫力と美しさを際立たせている。
やがて、画家ブリューゲルが登場し、フランドルの雄大な自然とともに、そこに生活する人々、その地域を支配する馬にまたがったスペインの赤い服の兵士たちの姿を印象的に配置していく。彼らは無力な若者を力の暴力で取り押さえ、鳥の餌食とさせてしまう。そのような権力者の下で十字架を背負うキリストが登場するのだ。ブリューゲルにとって、自分の生きている時代に、もしもキリストがやって来たら、人々はどんな反応をするのだろうか、に大きな関心を寄せていたに違いない。そして、それは現代にも通じることではないだろうか。
現代は、ハイテクの時代、情報の時代である。しかし、現代人は将来の情報にこそ最大の関心を払っていても、古(いにしえ)の時代に、イエス・キリストが人類の罪に対する罰の身代わりとして十字架につかれたことを知識として知ってはいても、一向に無関心なのだ。我々も自分の生活を守ることに忙しく、権力者たちはこの世界を支配することに忙しいのだ。
しかし、それでも、キリストは十字架を担い、ゴルゴダの丘に向かって歩みを進める。それは、神から生まれた人類が、ご自分のところにもう一度戻ってくることを切に願っておられるからだ。
クリスマスを迎えようとしているこの時、死ぬためにこそ生まれて来られたキリストに思いを馳せるために、ぜひこの映画をご覧になられることをお薦めします。 【町田俊之 バイブル・アンド・アートミニストリーズ代表】
監督:レフ・マイェフスキ 2011年/ポーランド=スウェーデン/96分/原題:The Mill and the Cross(水車小屋と十字架) 配給: ユーロスペース、ブロードメディア・スタジオ 12月17日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開。
公式Webサイト:http://www.bruegel-ugokue.com