インタビュー:映画「ぼくたちのムッシュ・ラザール」 フィリップ・ファラルドー監督に聞く
生徒たちが直面する’生きるとは 「学校は一つのミクロコスモス」
7月中旬以降に公開予定のカナダ映画「ぼくたちのムッシュ・ラザール」。朝、小学校の教室で担任の若い女性教師が首をつって自死していた。動揺する子どもたちと教師たち。そこにアルジェリアからの移民バシール・ラザールが代用教師を申し出てきた。自死した理由は不明、代わった壮年教師の古めかしい教え方に戸惑いながらも、’生きる’ことと向き合う教科書にはない授業が静かに始まる…。小学校を舞台に生徒たちと教師との人間関係を散文的な表現で描いたフィリップ・ファラルドー監督に聞いた。
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映画の冒頭シーンで、授業前に牛乳当番のシモンが教室で担任教師の自死を発見する。かなり衝撃的なアプローチだが、次第にそのリアルな感覚が印象に残る作品だ。エヴリン・ド・ラ・シュヌリエールが書いた一人芝居が原作。ファラルドー監督は、原作者と丁寧にコンタクトをとりながら脚本も書き上げた。
「原作ではストーリーの半ばに担任教師の自死が分かる展開でした。そのシーンを冒頭に置くかどうか随分考えたが、最終的には子どもたちがこのドラマと感情をいっしょにしていくことが大切と考えて決めた。ただし、冒頭に置くことによってドラマとして嘘っぽくなりはしないかという懸念はあった。いろいろ調べた結果、現代の教師たちはとてもストレスが大きく、精神的に悩んでいる人が多くいる現状を知りました。フランスでも、教師が校庭で焼身自殺した事件が起こりましたが、教師の自死は嘘ごとではなく現実に近いことなのです」。
主人公のバシール・ラザール先生は、母国アルジェリアで教師の妻と子どもたちが保守的な政治思想の人たちに惨殺され、カトリック的な文化圏でフランス語を公用語としているカナダのケベック州に逃れてきた。そうした政治難民の問題も伏線に敷きながら、教師が死を選ぶという行き詰まりのような現状を見つめる。だが、厳しい状況と死への哀悼をどう受け止めるかということを描きたかったわけではないと言う。
「この作品で描いているのは、学校についてです。学校は、一つのミクロコスモスのようなもので、人間をかたちづくり生み出していく研究所的なものではないでしょうか。学校は、実際の人生で起こりうる試験管版として私は考えています。ですから、必然的に不公平な出来事や死についての苦悩などに癒しのプロセスが描かれています。死についての哀悼も一つの普遍的なテーマですし、子どもたちの罪悪感というテーマもそうです。学校は普遍的な’場’でもあります。学校の教室は、カナダであれ、日本であれ、どの年代の方たちにも、誰もが近しい’思い出の場’として想起できるのではないでしょうか。そういう意味では、この作品はどこの国や地域であっても旅立てる作品だろうと思います」。
政治難民、教師の立場と子どもたちの関係や距離感。重いテーマだが、ラザール先生の古めかしい授業や朴訥な雰囲気と子どもたちの快活さとのギャップなど、作品全篇にはユーモアが流れていてくすぐられる。日本の公教育にも、君が代斉唱の強制問題など管理教育の中での軋みが精神的な重圧感となって表れている。この作品では、ほぼ全力で自己の存在をアピールする’エメラルド色のさなぎたち’を大人として守ろうとするラザール先生が、教科書にない’生きること’を授業で教える。その詩的で真摯な言葉が、子どもたちと同じように傷ついている大人たちの心にも響いてくる。 【遠山清一】
2011年/カナダ/95分/原題:Monsieur Lazhar 配給:アルバトロス・フィルム、ザジフィルムズ 2012年7月14日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開。
公式サイト:http://www.lazhar-movie.com