いわさきちひろ作「ガーベラを持つ少女」(1970年頃) ©CHIHIRO MUSEUM
いわさきちひろ作「ガーベラを持つ少女」(1970年頃) ©CHIHIRO MUSEUM

にじみを生かした画法や子どものあどけなさや物思う表情に憂いさえ感じさせる柔らかな筆致。水彩画家で絵本作家いわさきちひろが、55歳の若さで急逝して38年めを迎える。その作品への支持と人気は今も変わらない。彼女の結婚と人生の転機、そして母として、画家として歩んだ人生を数々の作品と近親者や友人知人らの証言で綴っていく。やわらかな作品群からは思いも及ばない波乱とチャレンジに生きた壮絶な姿に、厳しさを知る者から生まれる優しさへの憧憬が心に響いてくる。

いわさきちひろが最初の結婚をしたのは20歳の時。両親が決めた相手を婿養子に迎えたのだが、夫の任地である大連に赴いても結婚に納得できないちひろは身も心も固く閉ざしたままだった。それを責めることもしない優しい夫だったが、二年後、自宅で自死する。不慮の出来事にちひろの心は深く傷つき苛まれ、もう二度と結婚はすまいと心に誓う。

戦争が終わり、疎開していた母親の実家から両親は北安曇野の松川村での開拓を始める。翌年27歳の時、ちひろは日本共産党に入党し、上京して記者になり、画家の丸木俊にも師事。敗戦間際に空襲で東京を焼き出され、長野に疎開したものの職も家もなく戸籍の上ではバツイチの女性には厳しい社会状況と世間の目。ちひろは、画家をめざして一人東京へと旅立った。

それからの波乱の中を、自らの信念をもってどのような状況でも一つひとつ大切にやり遂げていくちひろ。司法試験受験中だった7歳年下の松本善明と知り合い、結婚。その結婚の誓いともいえる「わが愛の記録」に記された、互いの個性と存在を尊重し合う言葉のユニークさ。一家の主婦、母親を務めながら単行本の挿絵や児童書の表紙、絵本の仕事ををとおして児童画の境地を拓いていく。いわさきちひろの真摯な生き方に、描かれている子どもたちの表情の深さが同じ人間存在としての個性の響き合いのように感じられてくる。

アトリエのいわさきちひろ(1963年、44歳) ©CHIHIRO MUSEUM
アトリエのいわさきちひろ(1963年、44歳) ©CHIHIRO MUSEUM

言い古された表現だが、職業・ベルーフには「召命」の意味がある。いわさきちひろが、自分の作品を編集者たちに渡すとき必ず「要返却」を求め続けたことが証言されている。それまで、挿絵や児童画がぞんざいに扱われ紛失したり破棄されることが日常茶飯だった状況の中で、子どもたちの存在と生命を愛する想いを自らの絵画に埋め込み産み出してきた作品たち。自分の仕事への愛情と誇りは、神の像として存在する人間固有の「召命」ともいえる。
いわさきちひろが真剣に求め続けてきた作品の「要返却」が、子どものときに見た絵本のやさしさ、物思う子どもの表情をふと思い出したとき、大人になった心の荒みを和ませてくれる。絵本だけでなく、原画の世界での語らいへと今日も誘ってくれる。いわさきちひろのドキュメントを見て、その人生の凄まじさと共に、生み出してきたものを守り続けた地道な努力に大きな感謝の念を覚えさせられる。 【遠山清一】

監督・編集:海南友子 2012年/日本/96分/ 配給:クレストインターナショナル 2012年7月14日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開

映画公式サイト:http://chihiro-eiga.jp

ちひろ美術館公式サイト:http://chihiro.jp