Movie「生き抜く 南三陸町 人々の一年」――ナマで伝わる被災した人の気持ち
東日本大震災と福島原発事故に関連するドキュメンタリー作品が、テレビそして映画として数多く放映・上映されてきた。そうした作品群の中で、真に’生き抜く’力の源泉は、日々の生活の中で静かに息づきながらも自分の心の声に耳をふさがない粘り強さにあるのではないかと教えられる作品。インタビューの仕方とかテクニカルなことではなく、被災した悲しみ、痛み、怒りそして希望を見失っても’生き抜く’思いと気持ちが、直接聞かされているような、気持ちを汲める距離感がすばらしい。
3・11の大地震が発生した直後に大阪の毎日放送(MBS)本社を取材クルー数隊が出発した。そのうちの2隊が宮城県南三陸町に到着。大津波にさらわれ壊れ砕けた家々や打ち上げられたままの漁船、車などの残骸。それらの瓦礫で道さえ埋まってしまった。
人間の手作業では如何ともしがたい町の惨状。そのなかを町の人々は家族や親族らの安否を尋ね捜しまわる。流された家に閉じ込められたままかもしれない、生きてきた証しになるものや思い出を捜しまわる日々。壊された町の中を行方不明者の捜索をする自衛隊。そうした住民らの’思い出’に配慮し、瓦礫ととりわけながら捜索を指示する。
同じ福祉施設で妻と共に働いていた男性は、大震災の日にいっしょに勤務していた。高台にあるこの福祉施設にも大津波は襲ってきた。自分は助かったが、別棟で利用者らを介護していた妻は津波の中機材に挟まれて犠牲となった。「もう海は見たくない」と幼い二人の子どもを連れて隣町へ移転し、男手ひとつで育てようとしている。その心情と1年後の決断が静かに、ゆっくり語られていく。
家屋を失った人たちは避難所生活から仮設住宅へと徐々に引っ越していく。しかし、家族の人数や希望の場所への移動は、抽選のため思うようにはならない。苛立ちながら町職員に説明を求め、埒があきそうにない展開に思わず怒声になる。だが、対応している職員も同じ被災者。その、やるせない現実をもしっかりとみつめる。兄と暮らしていた初老の女性は、何度も仮設住宅に応募してきたが、「くじ運がないから」と落選ばかり。それでも「住み慣れたところに住みたい」という望み一筋に抽選に応募し続ける。
震災後、いち早く漁に出た漁師は、防災対策本部を襲った津波に娘をさらわれている。漁につかなければ居たたまれない気持ちもあるが、行方不明の一人娘が海に投げた網にでも引っ掛かってくれたらとの想いの日々でもある。いまは涙も枯れ果て、笑うしかないような言葉の一つひとつ。
町の防災担当職員だった夫を津波で失った女性。毎日、行方不明者名簿が掲示されている所轄施設に足を運び捜し歩いている。そして、夫が最後まで避難指示のアナウンスを発し続けた防災本部にも足を運ぶ。その癒されない心痛のことばと素顔が、観る者の知人であるかのように真摯に伝わってくる。
津波や被災した町の状況と変化はしっかり撮られ、描かれている。だが、そうした惨状の画像よりは、人の心と気持ちが観る者の心にしっかり伝わり、心象風景として鮮烈に残してくれる。1995年に阪神・淡路大震災を経験した関西の報道機関が写し撮った南三陸町の3・11の現実は、丹念な取材に協力された50組に及ぶ被災者の思いを一つのドキュメンタリーに結晶させた。【遠山清一】
監督:森岡紀人 2012年/日本/99分/ 配給:MBS 2012年9月17日(月)に南三陸町・ホテル観洋にて先行上映、10月6日(土)より大阪・第七藝術劇場にてロードショー、10月13日(土)より東京・ポレポレ東中野にてロードショー