Movie「東ベルリンから来た女」――国の体制では壊せない自己の確立と自由
列車に揺られる女医のバルバラ(ニーナ・ホス)。東独医学の最高峰と評される東ベルリンのシャリテ病院からバルト海に面する田舎町の病院へ左遷された。病院に出勤しても、出勤時間間際までバス停のベンチでタバコを一服して数分の時間潰す。所属した医療チームのリーダー、アンドレ(ロナルト・ツェアフェルト)ら同僚医師たちとも親しく接しようとはせず孤立する姿勢と態度を示す。クールな顔立ちに、意志の固い眼差しといわくありげな雰囲気を持つこの女性の行動に、ファーストシーンから引き寄せられていく。
ベルリンの壁が崩壊する9年前の1980年夏。70年代半ばまでホーネッカ政権が取った「文化の自由化政策」の影響が、若者や社会主義体制にさまざまなほころびとなって顕現化してきた時期を物語の時代設定に置いている。70年代後半から知識人・文化人を中心に反体制運動や自然環境保護運動などが起こり、著名な芸術家や作家、科学者らの活動が制限されていき、国外追放といった厳しい処置が取られていく。
最高の医療機関の医師であることから教養市民層のエリート階級出身者と推測できるバルバラは、ベルリンで知り合ったであろう医師のヨルク(マルク・ヴァシュケ)と恋をし、西側への移民を申し出た。だが、上流階級の文化や芸術、知識は人民のものとしていく社会主義の常識からすると、バルバラは’危険人物’と見做され、有用ない医師としての技量は人民に役立つよう厳しい監視下、田舎の病院へと左遷されてきた情況が見えてくる。
それでもバルバラは、ヨルクの助けを得て西側への亡命を企てる。その逃亡資金を受け取るため一日自宅を離れただけで、シュタージュ(国家公安局)の捜査官が家宅捜査のためにやってくる。家宅捜査だけでなくバルバラへの屈辱的な身体検査。シュタージュは、人民のための体制を守る正しいものの立場から、バルバラを監視し、制圧的に支配しようとする態度を隠さない。
バルバラには、医師としてのプライドと使命感がみなぎっている。誰が密告者でもおかしくないアンドレや医師たちに対して孤立する態度とは異なり、患者たちには誠実な医師として全力を尽くそうとする。それは入院患者に限らず、東ドイツ南部にある矯正労働所から逃亡し、病気のためこの田舎町で捕まった少女ステラ(ヤスナ・フリッツィー・バウアー)が、治療にあたったバルバラだけには心を開いていく。治療が終わり、矯正退院させられていくステラを見送るバルバラ。
抑圧的な監視の中で緊張した日常を強いられてバルバラだが、医師としての勤めは誇りをもって生き生きとした果たしていく。そして、アンドレには同様の誇りと強いられてきた屈折したものを負っている感性を感じさせられていく。やがて、アンドレが破たんし始めている医療制度の隙間で治療を受けられない者を、その患者の自宅で診察している事実を知るバルバラ。 西側への逃亡を決行する日が近づいてきた。決行日には休日届を出していたが、アンドレからバルバラも関わった少年の手術をその日に行うので手伝ってほしいと要請される。そして、決行日当日。バルバラの自宅に、再び矯正労働所を脱走してきたステラが逃げ込んできた。
バルバラが、ヨルクから届いた逃亡資金を、海難死亡者のため海鳴りの音が聞こえてくる海岸に立てられた十字架の下に隠すシーンがある。映画にはそれ以上具体的な描写はないものの、当時の東ドイツの教会には信徒を中心に新しい社会運動のテーマを議論し、活動をリードしていく素地が培われつつあった。やがて、それは市民の反体制運動へと広がっていく。ペツォールト監督は、「私は、お金を隠す場所をどこにするか考えた時、海と関連する場所で、同時に反体制派の居場所として教会とも関係するところを探しました。」と記者の質問に答えている。海は見えないが、風と波の音の先にある新たな大地へ踏み出す労苦と期待。印象的なシーンだ。
また、ペツォールト監督は、「バルバラもアンドレも、他人に評価されようとして何かをする人間ではありません。アンドレは本を読んだり、絵を鑑賞したりしますし、医師の仕事も恰好が良いから、というわけではありません。文学や音楽が好き、患者が好きなのです。バルバラも全く同じです。他人の目を気にして、良く思ってもらおうとして生きているのではない2人が惹かれ合うのです。彼らの美しさ、互いに示す誠実さ、真面目さは、彼らの内側からにじみ出てくるのです。国家はそういうものを決して壊すことはできません。」とも語っている。 人間に手かせ足かせを掛けるように、体制から監視され、密告されるのではないかという疑心暗鬼と緊張感に押さえつけられるような日常。そのような二面性をを形成させられる社会や態勢にあっても自己の確立を求め、自由な決断と信頼し合う誠実さと愛情は失いたくないという良心の叫び。そのプロセスを、サスペンス映画を見るかのようにみごとな展開と心理描写で描いていく。当時の社会状況の重苦しさと解放への予感。そして、生まれ育った国や文化を棄てるとは何を意味するのか。そして、自分が留まるととしたら…。
原題は、「バルバラ」そのものだが、邦題の「東ベルリンから来た女」の表現には、街中の防犯カメラに収録されているソフトな監視社会的に溶け込んでいる現在への問いも想起させられる。 【遠山清一】
監督:クリスティアン・ペツォールト 2012年/ドイツ/105分/映倫:G/原題:Barbara 配給:アルバトロス・フィルム 2013年1月19日(土)よりBunkamuraル・シネマほか全国順次公開
公式サイト:http://www.barbara.jp
第62回(2012年)ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)受賞。第85回(2013年)アカデミー賞外国語映画賞ドイツ代表作品。