インタビュー:C・ペツォールト監督(映画「東ベルリンから来た女」)――監視社会でも確立されていく“自己”
1月19日にドイツ映画「東ベルリンから来た女」が、東京、神奈川などで公開された。ベルリンの壁が崩壊する9年前の1980年夏、東ベルリンのエリート医師バルバラ(ニーナ・ホス)は恋人ヨルクがいる西側への移住を申請したことから反体制の嫌疑が掛かりシュタージュ(国家公安局)の監視下に置かれバルト海を望む田舎町の病院へ左遷された。自由意思を圧迫し医師の能力だけを活かそうとする監視社会。その体制のなかで自己の確立を必死に守り維持しようとするバルバラの生き方は、ラストシーンで矯正労働所から逃亡してきた少女を救うため贖罪的な行為を決断する。この作品でアイデンティティが確立されるプロセスを描きたかったというクリスティアン・ペツォールト監督に話を聞いた。 【遠山清一】
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自己確立と贖罪的
決断への心の道程
――ペツォールト監督は、あるインタビューで「本作品で表現したかったのは、人が自己を確立するのにどのような過程を経てきたかという点です」と答えている。
国の体制側からの監視の中での生活。周囲の人々への猜疑心が生まれ、何を信じればよいのか。自分の心の自由と意志をどう守っていけばよいのか。屈辱的な身体検査やあからさまな監視は、心に屈折した二面性をも芽生えさせていく。自ら孤立を選択した葛藤の中で、病院の同僚医師アンドレ(ロナルト・ツェアフェルト)の誠実な医療活動と人柄にバルバラの気持ちが開かれていく。
ペツォールト監督:「この映画に出て来るバルバラもアンドレも、他人の目を気にして、良く思ってもらおうとして生きているのではない。そのい2人が惹かれ合うのです。彼らの美しさ、互いに示す誠実さ、真面目さは、彼らの内側からにじみ出てくるのです。国家はそういうものを決して壊すことはできません」。
――バルバラは、西側に住む恋人ヨルクと亡命の準備を進めていた。ヨルクから届けられた逃走資金は、バルト海を望む海岸路傍に立つ十字架の下に隠される。
ペツォールト監督:「あのシーンは海の直ぐ近くですが、音がするだけで海を見ることはできません。十字架は船が難破した場所に、亡くなった船乗りのために立てられたのです。東独にもまだ教会はありました。当時、教会は反体制派のたまり場でした。私は、お金を隠す場所をどこにするか考えた時、海と関連する場所で、同時に反体制派の居場所として教会とも関係するところを探しました」。
――当時の教会は社会的に抑圧されていた存在ではあったが、70年代後半の教会内部では、信徒を中心に新しい社会運動のテーマを議論し、活動をリードしていく素地が備わりつつあり、80年代初頭には信徒以外の市民層も参加する広がりを見せていた。そのような時代背景を彷彿とさせられるシーンは、何気ない描写だが、ストーリー展開の中でも印象的なシーンだ。
ペツォールト監督:知識階級出身のバルバラは、人民や体制からの抑圧に対抗するかのように、人民とは一線を画す生き方と態度をとる。だが、医師としてのプライドと使命感は、彼女を患者を癒す行為へと寄り添わせていく。
” 恋人ヨルクが、自分の内面と医師としての実力に関心が薄いことを感じたバルバラは、矯正労働所を逃亡し自分を頼ってきた少女ステラを助ける決断をする。
一面、使命に生きる医師としては寄り添えても、心情的には見下してきたことへの贖罪意識だろうか。バルバラの自由な意志で決断するこのラストシーンは、自分が何者であるかを悟ったような温もりのある美しさと静謐な感性に包まれている。
ーー第2次世界大戦で同盟国であった日本とドイツは、ともに連合国に敗戦した。日本は、アメリカ一国の統治管理下に置かれたが、ドイツは東西に分断され冷戦時代の最前線を歩まされた。民族的・家族的な分断の悲劇を経験していない日本人に本作の時代背景や精神的緊張と閉塞感がどれほど伝わるものだろうか。
ペツォールト監督:「私は、戦後の西独というモデルと日本はそう離れていないと思います。どちらの国も経済的な成功によってゆたかさを手に入れることができました。そのおかげで、ドイツと日本が枢軸国として犯した戦争に対する罪や、非人間的行為に対する罪を、意識から排除することができたのです」。
「奇妙なことに、東独でも同じようなことがありました。東独は国が分断されたことを上手く使えたのです。悪いのは『あちら側』だと。西独が『東独はナチだ』と言えば、東独は『西独では資本主義とナチが同居している』と非難する。そのことによって、両国の間に引かれた国境線は非常に深い溝になり、それは今も続いているのです」。
いまの日本には、緊張を強いられるような監視社会を実感させられる出来事は少ない。だが、少し目を開けば町のそこいら中に防犯カメラがあり、四六時中何気ない行動まで記録されている。ソフトな監視は、ある日突然にバルバラの立場へと陥れる材料にもなる。この作品でアイデンティティが確立されるプロセスを描きたかったというペツォールト監督の制作意図は、いまも日本の観客への問い掛けでもある。
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監督:クリスティアン・ペツォールト 2012年/ドイツ/105分/映倫:G/原題:Barbara 配給:アルバトロス・フィルム 2013年1月19日(土)よりBunkamuraル・シネマほか全国順次公開
公式サイト:http://www.barbara.jp