黄インイク監督
 台湾・台東市生まれ。台湾政治大学テレビ放送学科卒業、東京造形大学大学院映画専攻修士を取得。現在沖縄県在住。
台湾の出稼ぎタイ人労働者をテーマとした人類学映画「五谷王北街から台北へ」(2010年)を発表しドキュメンタリー作品のデビュー。2015年に映画製作会社「木林映画」を台湾で設立。沖縄を拠点に、戦前からの台湾移民や殖民関係などのテーマをシリーズとしたドキュメンタリープロジェクト『狂山之海』の制作を開始した。

台湾と日本の合作映画「海の彼方」が、8月12日よりポレポレ東中野で公開された。沖縄県八重山諸島の石垣島に暮らす台湾移民の家族を追ったドキュメンタリー作品。ある台湾移民家族の歴史と生活をとおして語られるアイデンティティーについて黄インイク監督に話を聞いた。【遠山清一】

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大学生時代に民俗学の授業である日本人教師が「日本に移民した台湾人が最も多く暮らしているのは八重山諸島の石垣島」と語った言葉に興味を持った。「東京とか大阪とかなら分かるけど、なぜ石垣島に?」。漠然とした疑問は東京造形大学大学院映画専攻に留学し、『八重山の台湾人』(松田良孝著、南山社刊)を読み、実在の人物たち足跡を知り本作のきっかけにつながった。

映画は、台湾移民一世の玉木玉代さんとすでに他界している木永さん夫妻と七人の子どもたち家族の歩みを、玉代さんの孫でヘヴィメタルバンド「セックス・マシンガンズ」のベーシストSINGO☆こと玉木慎吾さんの語りで展開する。

1930年代半ば、台湾から石垣島への移民開拓団の一員として名蔵地区に移住しパイナップル栽培を手掛けた王木永さんは、戦禍迫る44年に台湾へ強制疎開させられ故郷で玉代さんと結婚。終戦後、台湾に入ってきた中国国民党の圧政を逃れて再び石垣に移住した。パイナップル栽培を復興し、時代の先行きを観て青果店に転業した木永さんと玉代さんは、三男四女を授かった。米軍統治時代の台湾移民は、時代の混乱の中で無国籍になってしまった。だが72年の日本復帰に伴い日本国籍を取得して玉木姓を名乗り、生業も軌道に乗ったが、木永さんは44歳の若さで他界した。その後、玉代さんは女手一つで七人子どもたちを育て、88歳を迎えた撮影時には曾孫まで100人になっている。玉代さんの米寿をお祝いした子どもと孫たちは、体力的にも“最後の台湾帰省”を計画して送り出す。それは孫の慎吾さんと忠男さんにとっても自分のアイデンティティに思いを巡らす旅にもなった…。

米寿のお祝いに子どもm後たちと台湾里帰り旅行する玉代おばあ(左) (C)2016 Moolin Films, Ltd.

台湾と日本の時代の変遷を丁寧に織り込んでいく構成と展開は分かりやすい。玉代さんの生きることへの苦労と共に、子どもたちも“タイワンナー”と蔑まれ、学校の帰りに投石を受けて額を割るなどのいじめに遭ってきた。いじめの激しさに子どもたちは台湾語を話すのをやめ、話せなくなっていった。「でも、それは昔のことととして玉木さんたち家族は少しも恨んでいません」と黄監督は言う。

言語とアイデンティティとの関係について台湾人の黄監督はどのように考えているのだろうか。「とてもシビアな問題ですね。台湾の教育は中国語で行われてるので、台湾語を話せる若い人は少ないです。日本の華僑社会でも地域によっては華僑の学校をつくり中国語で教育しているところもありますが、それをしたからアイデンティティがあるというものではないでしょう。たぶん何を受け継いでいくかという姿勢の問題かもしれない。玉代おばあが暮らしの中で残してきた文化をどう感じていて受け継いでいるのか。慎吾さんの次の世代では、また違った受け継がれ方をしていくでしょう。これがアイデンティティといえるようなものはないと思う」。

玉木さん家族をはじめ八重山諸島の台湾人移民を同時取材して三部作<狂山之海=くるいやまのうみ=>を制作していると言う黄監督。「この第一部『海の彼方』では、なぜ八重山に台湾移民が多いのかという入り口を説き、第二作『緑の牢獄』では西表島での強制徴用された炭鉱夫の問題、第三作『両方世界』では新しい世代の台湾移民を取り上げたい」という。移民世代の実像をとおして台湾と日本の関係を知っておきたい三部作だ。

【映画 海の彼方】黄(コウ)インイク監督。2016年/台湾=日本/123分/ドキュメンタリー/原題:海的彼端、英題:After Spring, the Tamaki Family… 配給:太秦 2017年8月12日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。
公式サイト https://uminokanatacom.wordpress.com/

*AWARD*
2016年:台湾映画祭台北映画賞・最優秀ドキュメンタリー賞ノミネート。イタリア・ヴェローナ国際映画祭入選。ハワイ国際映画祭入選。韓国DMZ国際ドキュメンタリー映画祭アジアコンペティション部門ノミネート。サンディエゴ・アジアン映画祭入選。ニュージーランド・オークランド国際映画祭入選。 2017年:大阪アジアン映画祭特別招待作品部門入選作品。