台湾から石垣への移民一世・玉木玉代おぼあ (C)2016 Moolin Films, Ltd.

八重山諸島は台湾からの移民が最も多く暮らしている地域という。石垣島への移民の歴史は、1930年代、日本統治時代(1895年<明治28>~1945年<昭和20>)に石垣島へ約60家族の農家が移住したことに始まる。そのうちの一家族四世代の歩みをとおして台湾と日本の深いつながりが見えてくる。

【あらすじ】
台湾が大日本帝国の領土だった1935年、貧しく人口が不足していた石垣島に台湾から60家族ほどの農家移住し名蔵地域を開墾した。そのなかには王木永さんが兄とともに入植し、パイナップル栽培を軌道に乗せた。日本名「玉木」苗字の一字“王”と名前から“木”の一文字に因んでつけた。だが太平洋戦争末期、厳しくなる戦局のなかで苦労して作りあげたパイナップル畑を残して台湾へ強制疎開。この帰省のとき玉代さんと出会って結婚した。

1930年代、日本統治時代に石垣島へと移住した台湾移民。パイナップル栽培、水牛耕作という技術革新を日本へもたらした台湾移民は、日本の敗戦によりアメリカの統治下となった沖縄で、1972年の返還まで台湾人とも日本人とも認められない無国籍になってしまった。そんな台湾移民のひとりである玉木玉代おばあは、石垣島を擁する八重山諸島で100人を超す大家族に囲まれていた。玉代おばあの米寿を祝った子や孫たちは、体力的にも最後になるだろうと話し合い、15年ぶりに台湾里帰りの旅に連れて行く。台湾から移民して70年という歳月は、玉代おばあと幼い時期を友に過ごした親族知り合いも少なくなっている。同行した孫の慎吾と忠男には、自分がいま在るアイデンティティーと台湾とのつながりに思いが及ぶ旅になっていく…。

【みどころ・エピソード】
玉代おばあが生きてきた戦中戦後をとおして見つめる台湾と日本の関係。玉代おばあが、育ててきた他湾の文化と暮らし。“タイワンナー”と蔑まれ、いじめに遭った過去を「昔のこと」と言って笑う子どもたちだが、いじめられないために台湾語は話せなくなっていた。そうした重い過去を、ナレーションを担当した玉代さんの孫でヘヴィメタルバンド「セックス・マシンガンズ」のベーシストSINGO☆こと玉木慎吾の語りが、ニュートラルな感性と距離感で進めていく自然さに親しみを覚える。【遠山清一】

ナレーターも務めたSINGO☆こと玉木慎吾 (C)2016 Moolin Films, Ltd.

監督:黄(コウ)インイク 2016年/台湾=日本/123分/ドキュメンタリー/原題:海的彼端、英題:After Spring, the Tamaki Family… 配給:太秦 2017年8月12日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。
公式サイト https://uminokanatacom.wordpress.com/
Facebook https://www.facebook.com/uminokanatafilm/

*AWARD*
2016年:台湾映画祭台北映画賞・最優秀ドキュメンタリー賞ノミネート。イタリア・ヴェローナ国際映画祭入選。ハワイ国際映画祭入選。韓国DMZ国際ドキュメンタリー映画祭アジアコンペティション部門ノミネート。サンディエゴ・アジアン映画祭入選。ニュージーランド・オークランド国際映画祭入選。 2017年:大阪アジアン映画祭特別招待作品部門入選作品。