2017年09月10日号 1,2面

スペイン東部カタルーニャ州バルセロナの繁華街で8月17日、バンが群衆に突っ込み多数の死傷者を出したテロ事件は、世界に衝撃を与えた。被害者の国籍は34か国、タラゴナ県での事件も含め死者は16人(27日現在)。日本人、教会関係者(スペイン人を含む)の被害はなかった。バルセロナ日本語で聖書を読む会の下山由紀子さんが、現地の状況についてレポートを寄せた。以下要約と共にコメントを紹介する。
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スペインは8世紀から15世紀までアラブ系が支配した歴史を持つ。そのためダーイッシュ(スペインにおけるISの呼び名)は「スペインは我々の祖父のもの」と、従来からテロ声明を出しており、警察は厳戒態勢をとっていた。その中でのテロ発生となり、「バルセロナは言葉を失った」。
しかし翌日には、市街で市民たちが「我々は(テロなんて)恐れない!」とシュプレヒコールを上げ、人々の生活を脅かすテロリストの意図に抗う姿勢を示した。19日には、市内は通常稼働を回復し、近辺のお店やサン・ジョセップ市場も通常通り開いた。だが生々しい事件を目の前で見た現場にある店の店員の中には、ショックで仕事に復帰できない人たちもいた。
26日にも、デモ行進が企画され、主要政治家と、このようなデモには参加したことがなかった王室から初めて国王も参加。市内外、カタルーニャ州の多くの都市からも観光バスをチャーターして集い、50万人がひしめき合い、「我々は恐れない! 」のスローガンを叫んだ。「平和こそが最良の応答」とともに、「イスラム教徒嫌悪に反対!」と書かれた横断幕もあり、先入観でイスラム教徒を嫌悪しない姿勢を表明した。市内に多く居住するイスラム教徒たちもテロリストらへの拒絶声明を出し、「私たちはバルセロナを愛しています」と述べた。

下山さんは、スペイン人の様子について、「基本的にスペイン人はイスラム教が平和の宗教であることを理解し、イスラム教徒とテロリストを直接結びつけていない。けれども、こうした攻撃について近所のイスラム教徒を問い詰め、責任を追及したりして緊迫した状況を生み出す人も少なくないようだ」と述べた。親しくしているイスラム教徒の女性は、「例えば駅のプラットホームで電車を待つ間、誰かに突き落とされるかもしれないから壁に寄り添って立つのよ」と話したという。
「今回奇跡的にも、日本人被害者、教会関係者(スペイン人を含む)には被害はなかったようだが、だから『良かった』とは思えず、イスラムテロが早急に解消されるよう、被害者の方々を悼み、彼らに近しい方々が負った深い心の傷が癒やされ、慰められるよう祈っています」と事件を痛む。17年8月23日ランブラス通り (1)

スペイン在住イスラム教徒からもコメント

下山さんの知人でスペイン生まれのイスラム教徒からもメッセージが寄せられた。チャイミ・バッカリーさんは、「テロリズムと人種差別は互いに増幅し、イスラム恐怖症はテロリズムに好機をもたらす。イスラム教徒への攻撃はテロリストにチャンスをもたらすからだ。人種差別主義者はイスラム教徒への攻撃でこれら殺人者を強くサポートすることになる。こうしてテロリズムは私たちの間に憎悪感を発生させ、それを煽ることに成功している。私たちは今こそ一致すべきであり、憎しみや人種差別、イスラム恐怖心を口にすべきではないと思う」と語った。
ナワル・チビさんは「先日起きた事件は世界に対するイスラムの“聖戦”ではない。イスラム教には聖戦は存在しないし、“ジハード”という言葉にはふたつの意味がある」と述べた。「ひとつは個人の努力を意味し、もうひとつは、かつてイスラム教徒の土地を占拠するために戦いを挑んできた征服者たちに由来して“領土を守るための戦い”を意味します」
今回の襲撃については「経済的権力を勝ち取るための政治的戦いであって、実行犯はISという本物のテロリストによって、ランブラス通りで襲撃を実行するよう工作され、操られたイスラム原理主義の青年たちだ。そしてISはイスラムの教えから遠くかけ離れた宗教解釈に根差した集団で、社会の中で傷つきやすい青年を捕らえてイスラム教に反する者たちを殺すべきだと思い込ませる。ところがこれは嘘だ。彼らはイスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒など、彼らの見解や狂信行為を認めない人々を殺害しているから」と語った。
「コーランは古いアラビア語で書かれた書物なので、これを正しく理解するにはある程度の教育が必要となる」と考える。「しかし彼らは教育を受けられず、文字の読めない人に狂信的演説を説いてイスラム教徒だと感じさせ、外国人嫌悪や憎しみを植え付けて共存できない人物にしてしまう。私は、幼いころに受ける教育にカギがあると思う。教育者やイスラム教師は協力して正しい教育を施し、同時にイスラム原理主義を制する法律や予防策を立てていくべきと考える」との認識を示した。