インタビュー:P・グレーニング監督 「大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院」
‘ありのまま’の日常を映像にすることは至難な業のように思う。自然光の部屋の陰影を写し撮るのに、ライティングの補光も考慮することだろう。だが、グランド・シャルトルーズ修道院に取材申し込みして16年後に届いた許可の条件は、礼拝以外の音楽なし、ナレーションなし、照明なし、取材者は監督1人のみという厳しいもの。それを受け入れたフィリップ・グレーニング監督は、同修道院の建物内と佇まいの’ありのまま’を伝えている。
ささやかな音が
清かな声に聴こえてくる
自室で祈る修道士。?列王記19章11―12節の聖句が表示される。「地震の後に火が起こった。しかし火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かなささやく声が聞こえた」。預言者エリヤが、アハブ王の迫害を逃れて神の山ホレブにたどり着いた時の情景だ。「フランス語訳の聖書では’さざめきのようなかすかな音’という翻訳でした」。いわば’細い沈黙の音’が声のように聴こえてくる。邦題からもそのニュアンスが伝わってくる。
だが、ラジオやテレビ、街の喧騒の中で生活する現代に、この「静かなささやく声」が聞こえるのだろうか。「修道士たちほどには感覚を研ぎ澄ませないとしても、一般的な生活者であっても少し知覚を働かせれば感じていただけると思います。そして、映画という時間と空間は、その感覚が働ける場所です。’細い沈黙の音’の中にある’幸福’というものが少しでも伝わることを願っています」。
自給自足の修道院には、それぞれに労働があり、学びと祈りの一日がある。沈黙を厳しく守る戒律で作業するにも立ち位置の距離が保たれ、礼拝堂や食堂への移動を知らせる鐘の音が修道院がある山間にこだまする。そうした生活説明もなく、たんたんと修道士らの日常が映し出されていく。
ある映画祭で「私は、修道院のことではなく修道士の映画を撮りたかった」と答えている。言葉の説明がないだけに、彼らの沈黙のうちに神を求め神に近づこうという真摯さが伝わってくる。日曜日に4時間ほどの散歩の時間がある。唯一、修道士たちが歓談し、雪すべりなど屈託なく過ごしている。新聞もラジオも禁じられている生活だが、会話の話題は豊富だ。「修道士たちは、社会を離れて修道院に来たが、世間知らずではありませんよ。軍隊で指揮官をしていた人や大学で微生物学を研究していた人などもいて、社会を深く知っている人たちです。
作品のラストに盲目の老修道士が、穏やかな表情で神について語る。静穏な生活の中で聴いてきたであろう’静かなささやく声’を語るひとこと一言。ひとりのカトリック信徒としてグレーニング監督の修道士への確かな畏敬が感じられて美しい。 【遠山清一】
監督・脚本:フィリップ・グレーニング 2005年/フランス=スイス=ドイツ/169分/原題:Die grosse Stille 配給:ミモザフィルムズ 2014年7月12日(土)より岩波ホールほか全国順次ロードショー。
公式サイト:http://www.ooinaru-chinmoku.jp
Facebook:https://www.facebook.com/ooinaruchinmoku
2006年サンダンス映画祭審査員特別賞受賞、ヨーロッパ映画祭ベストドキュメンタリー賞受賞、ドイツ映画批評家協会賞ベストドキュメンタリー賞受賞、ドイツカメラ賞最優秀賞受賞、バーバリアン映画賞ベストドキュメンタリー賞受賞作品。
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