映画「悪童日記」――戦争の時代、思春期から大人へ歩む“ぼくら”が見た大人たちの真実
戦争は、女性や子どもたち弱い立場の人々を危険にさらし、容赦なく傷つける。それでも、子どもたちは大人の姿を見て生き続ける術を学習する。ヤングアダルト小説『悪童日記』(アゴタ・クリストフ著)の原作を、第2次世界大戦下のハンガリーに設定し、双子の’ぼくら’が見つめた大人たちが日記に書きつづられていく。’ぼくら’が学習し、身につけていく生きる術と自立への一歩一歩、大人の責任を真摯な瞳の輝きが問い掛けてくる。
戦争が、’大きな町’にも近づいてきた。お父さん(ウルリッヒ・マテス)は前線で戦っている。前線へ行く前に、双子の’ぼくら’(アンドラーシュ・ジェーマント、ラースロー・ジェーマント)に、「このノートに日記を書きなさい。お前たちがどのように生きたか知りたい」と言って、装丁綴じの大きなノートをくれた。間もなく、お母さん(ギョングベール・ボグナル)は、田舎の’小さな町’で独り暮らししているおばあちゃん(ピロシュカ・モルナール)の家にぼくらを疎開させた。
‘ぼくら’は、お母さんのお母さんがいるなんて初めて聞いた。20年ぶりに帰ってきた娘であるお母さんには、厳しい顔で怒っているような言い方だ。お母さんは、「強くなってね。迎えに来るまで生き延びてね。何があっても勉強を続けるのよ。手紙を書くわね」と言って別れた。’ぼくら’は、毎日聖書で勉強し、自分たちの目で見たことと聞いたことの真実だけを日記に書くことにした。
おばあちゃんは、近所の人たちから’魔女’と呼ばれている。おじいちゃんを毒薬で殺したと噂している。ぼくらは、「牝犬の子ども!」とおばあちゃんに呼ばれている。「ただ飯は食べさせないよ」といわれ、薪割り、水汲み、豚や鶏にエサをやる仕事を課せられた。しごとを失敗すると、おばあちゃんは容赦なくひっぱたく。’ぼくら’は、強くなるために、痛みに負けないため、互いに罵り合い、殴り合う鍛錬を始めた。
ある日、森の中で負傷した兵士が倒れていた。4日間何も食べていないという。食べ物と毛布を持って引き返すと、兵士は死んでいた。’ぼくら’は、ライフル銃と鞄に入っている手りゅう弾を持ち帰って隠した。そして、4日間絶食して、空腹に耐える鍛錬をすることにした。
お母さんと別れて1か月以上経つのに、おかあさんからは手紙がこない。だが、’ぼくら’は、おばあちゃんが郵便屋さんから小荷物を受け取るのを見た。おばあちゃんは、自分の部屋で小荷物から出したばかりの子ども服を前に、手紙を読んでいる。お母さんからの手紙と’ぼくら’の服だ。きっと、これまでにも届いていたのだろう。’ぼくら’は、叩かれてもおばあちゃんに詰め寄って、手紙と服を取り返した。手紙を読んだ後、「強くなりなさい」と言っていたお母さんの言葉を思い返した。’ぼくら’は、強くなるためにお母さんを忘れなければいけないと考え、お母さんの手紙や写真を焼いた…。
原作の物語の流れと情景を大胆に脚色し、悲惨な描写を抑えた奥行きを抱かせる演出がすばらしい。’ぼくら’は、おとなたちの欺瞞や貪欲な行為やユダヤ人を強制収容所へ追い立てていく暴力を目の当たりにする。’小さな町’の司祭は、’ぼくら’から少女に行ったわいせつな行為で恐喝されると十戒を持ち出して諭そうとする。だが、’ぼくら’は、「『汝、殺すなかれ』って言うけど、みんな、殺してる」と、守らない大人たちの現実を突きつける。
‘ぼくら’には、大人の姿をみて学習し、導き出した’ぼくら’独自のとるべき行動は正しいとは言えない。毎日、聖書で勉強で暗唱しても、教え導くものがどのような大人なのかによって歩む道は変わる。聖書の使徒の働き8章で、聖書を読みながら帰途についたエチオピアの宦官が、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」とピリポに言った言葉が思い出される。 【遠山清一】
監督:ヤーノシュ・サース 2013年/ハンガリー=ドイツ/ハンガリー語、ドイツ語/111分/映倫:PG12/原題:A nagy fuzet フランス語題:LE GRAND CAHIER 配給:アルバトロス・フィルム 2014年10月3日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、新宿シネマカリテほか全国ロードショー。
公式サイト:http://akudou-movie.com
Facebook:https://www.facebook.com/pages/悪童日記/1437095539897044?ref_type=bookmark
2013年第48回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭グランプリ受賞、第86回アカデミー賞外国映画賞ハンガリー代表作品。