2017年12月03日号 02面

10月26日、雲一つない秋晴れの空の下、八木重吉没後90周年を記念する「茶の花忌」が、東京都町田市にある重吉の生家で行われた。会場には、重吉の詩の愛好家など約70人が集まった。DSC04776
第1部の墓前礼拝は、日基教団・桜美林教会の小林茂牧師の司式で行われ、冒頭、重吉の愛唱賛美歌を参列者一同で賛美した。小林牧師は「八木をして、八木たらしめているものが信仰だった」と語った。
第2部の「重吉を偲ぶ会」では、ゆかりの人々が登壇して、思いを語った。
茨城キリスト教学園中学校・高等学校の元校長、小澤則男氏は、授業や保護者会で、折に触れて重吉の詩を伝えてきたと話す。「ただの良い詩ではなく、生徒の心に入り、生きて働く詩」だと語った。ある手のかかる生徒が、重吉の詩を読んで感動し、母親に詩集をプレゼントして感激させたこともあったという。
町田市民文学館の学芸員、神林由貴子氏は、昨年、同館で開いた八木重吉展に多くの来場者があったことを伝え、「八木の詩が、読んだ人の人生を考えるきっかけになればと思って企画した」と伝えた。また「郷土の星である八木の詩を、子どもたちにも伝えていきたい」と、これからも継続して取り組んでいく対象だと語った。DSC04769
詩人で神奈川近代文学館理事も務める八木幹夫氏は、重吉の詩「素朴な琴」を通しての思索を披露した。
「この明るさのなかへ/ひとつの素朴な琴をおけば/秋の美くしさに耐えかね/琴はしづかに鳴りいだすだらう」(原文ママ)
スッと読めてしまう詩ながら、「琴を置くのは誰か」「誰が弾くのか」など、「意地悪い解釈」(本人談)を投げかけた。琴を置いたのは、作者であろうか、あるいは神であろうかと思索は進む。さらに、琴は重吉自身かもしれない。そして、それを弾くのは神かもしれないとも。こうした視線で読むと、重吉の一見素朴な詩にも、深い世界が垣間見えると語った。
生家の蔵を利用した「八木重吉記念館」の館長代行で、重吉の親戚にあたる佐藤ひろ子さんは、「皆さんのおかげで、茶の花忌を開くことができました。今後も、細々ながらでも続けていきたい」と抱負を述べた。
茶の花忌に合わせ、重吉の生涯を追った本『重吉と旅する。』(いのちのことば社フォレストブックス)が発行され、会場でも販売された。ゆかりの写真やイラストを多用し、代表的な詩も収められているため、重吉の親しみやすい入門書となっている。来場した重吉ファンの多くも手に取っていた。(レポート・砂原俊幸=雑誌「百万人の福音」編集長)
重吉カバー