2017年12月10日号 08面

M・A・バーネットは1878年に英国国教会牧師の子として生まれ、26歳の時に海外伝道の幻を見、1917年12月6日、39歳で来日。足尾教会での働きを初めとして、各地で宣教の働きに従事し、福音伝道教団を設立した。今年はバーネット来日100年になる。その年に宣教の前進と霊的遺産の継承をと、福音伝道教団は10月9日、「M・A・バーネット師来日100年記念宣教大会」を、群馬県館林市高根町の館林キリスト教会で開催した(10月22日号で一部既報)。今回は記念礼拝の模様と、バーネットを知る4人の証言を届ける。【中田 朗】バーネット本

記念礼拝は、塚田直樹氏(前橋キリスト教会牧師)による祈祷で始まった。「100年前、バーネット先生は福音のメッセージを携え、日本の地に来てくださった。今も変わらずにあなたの福音の御言葉は宣べ伝えられ、私たちの福音伝道教団の諸教会の中に、宣教の業が前進していることを覚える時、その始まりにはバーネット先生の働きがあったことを確認している。100年前も今日もこれからも変わらず、まず崇められるべき主に賛美をささげ、心からの礼拝をささげることができますように、主よ導いてください」
続いて、村上隆一氏(倉松キリスト教会牧師)が、Ⅱテモテ2章1、2節から「キリストのしもべ『もう一つの使命』」と題して説教した。「ほとんどの皆さんはバーネット先生に直接お会いしたことはないと思う。先生は1951年7月、日本で天に召された。私は同年クリスマスに館林キリスト教会に導かれたので、地上で先生にお会いすることはかなわなかった」
村上氏は、バーネットの生涯から教えられる、キリストのしもべのもう一つの使命について話した。それが「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい」(Ⅱテモテ2・2)だと言う。「もう一つの使命とは、福音を次世代にゆだねること。パウロはテモテを『わが子よ』と呼んだ。イエスは今日、私たち一人ひとりに『わが子よ』と呼びかけている。バーネット先生は伝道活動開始とほとんど並行して、福音を次世代にゆだねるための働きをスタートさせている」
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村上氏は、その使命を果たすために3つのことを語った。「第1は、もう一つの使命を果たすために必要な備えです。ある人は祈りが、ある人は福音をゆだねる人を探すことが大事と考える。しかし、聖書の言う備えは『恵みによって強くなりなさい』(1節)ということです」
「第2は、福音に生きる人です。2節に、『教える力のある忠実な人』にゆだねなさい。バーネット先生は、伝道にも教会の建て上げにも熱心だった。福音を丸ごと教える力を持ち、福音に生きることに忠実でした。バーネット先生の薫陶を受けた先輩の先生がたから、その姿を見る事ができます。羽鳥明先生は、ヤコブが愛した末息子のベニヤミンになぞらえ、自分をバーネット先生のベニヤミンと自負していた。それだけでなく、バーネット先生の分身であるかのように、失われた魂を追いかけてやまない人でした。これらの先生から共通して立ち上る香りは恵みによって生きるということです」
「第3は、福音を次世代にゆだねることです。人に何かをゆだねるには信頼関係が大事。だがその人が信頼できるか否かを見極めるのは困難だ。私も何度も失敗しました。しかし、恵みによって立ち直ることができました。パウロも自分の力を信じていたわけでも、全能感に取り付かれていたわけでもない。福音に対する絶対的信頼があったのです」DSC_0002
「イエス様と私は、姿形は同じ人間でも中味は天地の差がある。イエス様は誠実で私は不誠実、イエス様はこの世でただ一人罪のないお方で、私はどこにでもいる罪人。イエス様は別世界のお方。にもかかわらず、イエス様が十字架にかけられるはずの私を押しのけて、代わりに十字架上で釘を打ち付けられ贖われた。それゆえ、福音を信じる者はみな救われ、救われた者は、もう一つの使命をゆだねられているのです。ですから、福音を信じているあなたは、その一人です。バーネット先生をしのびつつ、もう一つの使命、福音を次世代にゆだねることを強く心にとめさせていただきたい」と結んだ。

直接知る信徒らが証言 内村に聞くかイエスに従うか

午後は生前のバーネットを知る森田益兆(館林キリスト教会員)、市川栄子(前橋キリスト教会前牧師夫人)、木田慶子(郡山キリスト福音教会牧師夫人)、岡部ルツ子(境キリスト教会牧師夫人)の各氏が証言した。
森田氏は、「私が10歳の時、母と私に『この坊やが生きているうちに再臨があるかもしれない』と言われたことが忘れなれない」と言う。「偉大な功績は、羽鳥先生を後継者として育てたこと。羽鳥先生をアメリカに送ったが、羽鳥先生の卒業を見ないでバーネット先生は72歳で亡くなった。だが、羽鳥先生はバーネット先生の遺志を継ぎ、走るべき道を走ったのではと思っている」とも話した。
市川氏は「私が初めてバーネット先生にお会いしたのは、主人との結婚が決まった1948年。前橋のバーネット館に伺った時のこと。その柔和なお姿にハッとした。先生は伝道者養成の使命と重荷を持っておられた。休校していた前橋聖書学寮再建をと、主人は先生から要請を受け、私たちは前橋へ移り住んだ。私はお産を控えていたので、1週間バーネット館にお世話になったが、いつも変わらず主に仕えておられる先生のご性格に触れることができた」と懐かしんだ。DSC_0032
木田氏は、前橋聖書学寮で学んでいた時の出来事を語った。「ある学びの中で、どうにも理解できないことがあり、3回先生にお尋ねした。3回目の時、先生は『私は3回同じところの説明をした。これ以上お話しすることはない。これからは神様に祈って、御霊に教えていただきなさい』と言われた。この先生のお言葉でハッとさせられた。聖書の学びは、先生のお話をノートに鉛筆で書き写すことではないということを。イエス様が私の幼稚な心を開いてくださった」
岡部氏は、『M・A・バーネット師来日100年記念 今なお語る信仰の人』(福音伝道教団)の表紙=写真左上=に用いられた写真を撮影した写真館店主の娘だ。岡部氏は、「父は特別集会でバーネット先生と話をした。バーネット先生は、内村鑑三の弟子だから絶対洗礼を受けないと言って頑張っていた父の話を聞きながら、目をつむり、祈りをされ、そして顔を上げてこう言われた。『あなたは内村鑑三に聞くべきですか、イエス・キリストに従うべきですか』。父はびっくりして言葉がでなかった。しばらく考えていた父はひと言、『無条件降伏します。洗礼を受けさせていただきます』と答えた。そして栃木県の今市に戻ってすぐに、今市の教会の牧師先生に洗礼を志願し、大谷川で洗礼を受けた。父はこの時の先生の権威ある言葉によって、内村野で師からキリストの弟子とされた」と証しした。