4月1日号紙面:被災乗り越え2月に献堂式 日本バプテスト連合 くまもと森都バプテスト教会
2018年04月01日号 06・07面
熊本市東区の住宅街。小高い丘を見上げると、紺色の壁に銀の大きな十字架が光って見える。2月に献堂式を迎えた、バプテスト連合くまもと森都バプテスト教会会堂(徳地剛牧師、熊本市東区御領5ノ3ノ27)だ。和風をイメージした木造建築で、日当たりのよい斜面が生かされて内部は明るい。2016年の熊本地震では、旧会堂兼住居がここから約2キロ弱で被災した。市内でも最も激しい揺れがあった場所だった。開拓4年での被災は大きな打撃だったが、新しい会堂に思いを新たにしている。
「1度目の地震はまだなんとか住んでいられると思ったが、2度目の地震は今まで体験したことがなかった揺れだった」と熊本地震を振り返る。揺れる中で、壁もはがれて外も見える状態に。部屋の中もめちゃくちゃになり、途方にくれた。建物の下の地面は50メートルほどに渡って亀裂がはいっていた。「開拓して4年目。やっとこれからという中での被災。なかなか外に目を向けられなかった。私は支援に助けられた側でした」
もともとは宮崎県の建具屋で生まれ、そこで働いていた。20歳でキリストに出会い、信仰をもち、献身。神学校時代には、東日本大震災の支援にかけつけ、気仙沼市などを訪れた。
卒業後、熊本での開拓伝道に従事することになった。縁もゆかりもなかった熊本だったが、「すでに備えられていた」と感謝する。
綾バプテスト教会の牧師夫人の母が熊本在住だったが、開拓が始まる直前に洗礼を受けた。「開拓当初から家族だけの礼拝ではなかった」と話す。
会堂については、同連合の教会メンバーで、熊本出身の人が熊本に持っていた借家だった。「間取りも見ずに、そこを使わしてください」とお願いしたという。6畳2部屋を礼拝に使用でき、子ども部屋も確保できた。駐車場も利用できた。トラクト配布の反応もよかった。何十年かぶりに教会にきたという人が続けて来るようになった。
地震後も家主の親族に助けられ、空き家のアパートを紹介してもらった。 その後公民館での礼拝も可能になった。九州キリスト災害支援センターの支援がきっかけで出会った地域のリーダーの協力だった。そのリーダーは礼拝や献堂式にも参加してくれた。
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新会堂の土地は、福岡の教会の牧師の知人に不動産関係の人がおり、地震後1か月後には紹介を受けた。その後半年ほど様々な場所を探したが、この土地に落ち着いた。斜面にあるということで、周囲よりも値段は安かった。
当初は鬱蒼とした竹林が囲み暗いイメージだったが、建設中に近隣の人の計らいで徐々に伐採されていった。駐車場の土地も購入できた。
大工の人手不足で、ほとんど1人の作業で建設に時間がかかったが、「若くて腕のいい職人さんで、じっくり私たちの要望を聞いてくれた。ベンチなども手作りしてくれました」
地域の教会の交わりや励ましにも感謝する。「協力の大切さは知っていたが、なかなかこういうことでもないと1つになれないのだな」と実感させられたという。さらに被災を通して「自分が助けてください、という側にならないと分からないこともあった。与えられたからこそ、与える幸いがあると。弱さを実感しないとだめなんだなと経験させられました」
玄関から入るとあたたかみのある木の柱、壁が迎える。椅子などの家具も木製。「建具屋の父が造ってくれた」という扉なども収まっている。
会堂は60人収容。「なるべく大きくと思ったが、開拓教会としては充分すぎる大きさ。このように与えられ道具としての会堂を用いて、何ができるか。災害があったが、その中で様々な助けがあって会堂が建った。人との出会い、導きが大きい。この会堂が神の器として用いられること。それがいちばんの願いです」
介護へルパーをしながらの牧会だ。妻も働く。子どもは高校生の男子2人。2人は、礼拝で奏楽奉仕をする。「平日でも友達をときどき連れてくることもあるが、新しい会堂に驚かれる。教会はクリスチャンではない人からは警戒心をもたれがち。でもぜひ、敷居をさげて気軽に遊びにくるように思いで来てくれるといい」と願う。3月には、青年向けのイベントを開催した。
「場所があるということは大きい。公民館で礼拝していたときは、なかなか来られなかった人も、礼拝堂ができて来てくれるようになったこともある。介護の同僚も、数人礼拝に来てくれて。やはり、個人のつながり、一人ひとりのあかしが大事」と話す。
熊本の歴史にも触れ、「ここまで福音の種がまかれたところはない。必ずいつか芽が出る。熊本の役割は大きいと思う。私たちも種をまける教会になっていきたい」と語った。