(C)2018「フジコ・ヘミングの時間」フィルムパートナーズ

芸術は人格の発露であることを体現しているドキュメンタリーと出会えた。一時、両耳の聴力を失い、絶望の淵から60歳代にして一躍世界のひのき舞台に上り詰めた“奇跡のピアニスト”フジコ・ヘミングの半生を思春期に描いた絵日記とコンサートツアーでのピアノ演奏でたどる。厳しくピアノの手ほどきをして母親のこと、聴力を失った挫折から長く続いた不遇の時代、そして現在歩んでいる人生を、ピアノの音色で彩りとともに語られる。なんとも芳醇な“とき”の味わいが愛おしい。

人生とは時間をかけて
私を愛する旅

冒頭に表記されるこの言葉が、フジコ・ヘミングの奏でる人生の音色を深く心に届いてくる。<憧れのパリ><母と暮らした東京><フジコが残したいもの><生まれた街ベルリン><おとうと><家族の記憶><18年後のシンデレラ><古都><古くて美しい鐘の音>九つの楽章に編んでの人生哀歌は、フジコが14歳の時に描いた絵日記をそれぞれの楽章の主題に因んで語る言葉をつむんでいく。

1988年に建てられたパリのアパルトマンで3匹の猫と暮らすフジコ。クリスマスを祝う街を散歩し、夜は部屋でC・ドビッシーの「月の光」を奏でる。アンティックな家具や昔描いた絵などが、2か月間の休暇をゆったりした時の流れへと誘う。休暇が終りコンサートツアーへ出発。ブタペストでのチャペルコンサートは、F・リストが祈り演奏していた教会で「主題と変奏」などを演奏する。

ピアニストだった母が残した東京の家。母親のピアノの教え方は厳しかった。母が師事したピアニストのレオニー・クロイツァが、ナチス・ドイツを逃れて母親を頼って来日し、そのまま日本に永住。フジコは「クロイツァには譜面どおりに弾く教え方ではなく、歌うように演奏する弾き方」を教えられたという。

マネージャーはつけず、ツアーのすべてを自分で決めるフジコ。アルゼンチンのブエノスアイレスのコンサートでは、グランドピアノがなく家庭用のベビーピアノが用意されていた。「練習すると指先が真っ黒になっちゃった。誰も弾いていなかったピアノしかないのよね」と、満足な音色を聴かせることができなかったとぼやく。

(C)2018「フジコ・ヘミングの時間」フィルムパートナーズ

パリのアパルトマンをメインにフジコの“家”は世界のあちらこちらに在る。母親が残した東京・下北沢の家、改築した京都の古民家。ベルリンにはドイツ留学した時からの友人家族の家の地下部屋、アメリカ西海岸サンタモニカの家など。名前よりも家を残したいというフジコ。ピアニストだった母・大月投網子とロシア系スウェーデン人のデザイナーだった父ヨスタ・ゲオルギー・ヘミングが留学生時代に出会い、結婚して暮らしたベルリンの家を10年ぶりに訪ねたフジコ。昔と変わらない佇まいの土地が好きだという。個性的な装いでステージに上がるフジコは、歴史を生き抜いてきた主張のあるものを愛でる。母からピアノの手ほどきを受けたブリュートナーのアンティックなピアノが長年の修復を終えてパリの自宅に戻ってきた…。

最も小さき者たちへの思い遣り

「16歳の気分よ」と語るイングリット・フジコ・ヘミング。彼女自身の生い立ちと両親のこと、突然の病気で聴力を失った28歳の時の挫折から夢をあきらめることなく60歳代でのコンサート・ピアニストに復帰。いまは世界をコンサートツアーで旅し、自らのファッション観や芸術観、人々との出会いと交流などがごく自然な雰囲気で語られていく。フジコ・ヘミングは『天使への扉』(知恵の森文庫、2005年刊)などの著書で自らの宗教観も記しているが、本作ではあまり取り扱われてはいない。ただ街を散歩するのが好きなフジコは、ホームレスを見かけるとさりげなく小銭を手渡すシーンが幾度となく描かれている。新約聖書のマタイ福音書に「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」と、永遠のいのちについて語るキリストがたとえ話がある。フジコは「天使たちに試されているように思えるのよ」と答えているが、マタイ福音書のことばを思い起こされる。 【遠山清一】

監督:小松莊一良 2018年/日本/115分/映倫:G/ 配給:日活 2018年6月16日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー。
公式サイト http://fuzjko-movie.com/
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