2018年06月17日号 02面

「セレブレーションOCC第3回首都圏宣教セミナー」(セレブレーションOCC宣教協力会主催)が5月28日、東京・千代田区神田駿河台のお茶の水クリスチャン・センターで開かれた。テーマは「信徒から見た日本宣教の今日とこれから その2」。午前は飯島延浩氏(山崎製パン株式会社社長)が「キリストとの出会いと企業経営」と題して講演した。
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最初に、山崎製パン(以下・ヤマザキ)の歩みについて語った。「ヤマザキは戦後食糧難の中、私の父で創業者の山崎藤十郎社主が製パンの仕事に天職を見いだし、12坪の小さなバラックで社主夫妻と妹、数人の従業員によって開始。社主は2年半奉公した新宿中村屋社主の教え『良くて安い品を自分で作って売る』をそのまま実践し、創業当初から大繁盛。パンだけでなく和菓子洋菓子製造販売、機械設備の導入に積極果敢に取り組んだ」DSC_0032
製パン事業の全国展開は順調に推移。だが、「社主が健康を損ない休養をきっかけに社内は混乱と争いが起こった」。「その中で社主夫妻は神田YMCAで開催されていた後藤安太郎オリジン電気会長が主催する東京国際朝祷会に出席。メンバーの森豊吉牧師が牧会する単立渋谷教会の礼拝にも出席するようになり、私も連れて行ってくれた」
1973年7月、藤十郎夫妻、飯島氏と3人が池の上キリスト教会、山根可弌牧師によってそろって受洗。それまでの経緯をこう語る。「私はヨハネ16章を通し、暗闇の中に一条の光を見出し、その光を受けて歩みを開始した。約1年後、混乱と争いから脱出する道を求めて、社主に『洗礼を受けませんか』と提案したところ、社主はすぐに賛成してくれた」
「受洗前、社主と私が一致するためには、私の立場にこだわってはいけないと強く示されたことだった」
受洗11日目、武蔵野工場の生産設備が全焼するという火災に遭う。だが、「聖書の教え、キリスト教精神を基盤とし神のみこころに叶う会社にならんとする新しいヤマザキがここからスタートした」という。「この時、武蔵野工場の従業員を他の工場に分散し、武蔵野工場分の生産をする体制をとった。その結果、生産設備全焼にもかかわらず、3日目から元通り仕事を継続していた」
「そこでヤマザキに与えられた使命は何であるかを知った。それは、取引先・販売店から注文があった品はどんな試練や困難に出合っても、良品廉価・顧客本位の精神で製造し、お取引先を通してお客様に提供すること。この使命は『21世紀のヤマザキの経営方針』の中に入れてある」
1979年、飯島氏が社長に就任し、新体制発足。その中でも問題はあったが、「一つ一つ解決していく歩みの中で、ヨハネの黙示録にある7つの教会の歩みがたいへん大きな導きとなった」と話す。また、山上の垂訓に生命の道を見出したこと、生命の道の教えに従った部門別製品施策・営業戦略をピーター・ドラッカーの5つの質問と連動させ、生産部門・営業部門一体となった業務を推進してきたことなどに触れた。
午後は「西郷どんとキリスト教」と題して守部喜雅氏(クリスチャン新聞編集顧問)が講演した。