映画「返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す」――沖縄要塞化返還に否を主張した外交官
沖縄が“核抜き・本土並み”を謳われてアメリカの施政権を日本に返還された1972年5月15日から46年。沖縄の基地を半永久使用する方針を立てていたアメリカから、日本への本土並み復帰にプリンシプルを曲げずに返還交渉を推し進めた外交官・千葉一夫を描いたヒューマン史実ドラマ。沖縄は、現在も辺野古基地新設、石垣・宮古島の先島諸島ミサイル基地など基地問題に揺れ動いている。本土防衛の地上白兵戦を展開し、兵士よりも多数の沖縄県民が死傷した歴史と心情を酌み、沖縄要塞化前提の本土復帰に否を主張し続けた日本人外交官。その行政官と市民とが心情と主張を交わしていく姿に、複雑で激しく揺れ動く社会情況に直面するときどう在るべきかを気づかせてくれる。
アメリカ留学が決意させた
“沖縄を取り戻す”使命
1945年春、アメリカ軍は沖縄本島に迫り、日本の敗戦色は濃厚になっている。埼玉県新座の大和田通信所に配属されている海軍士官候補生・千葉一夫(井浦新)は、アメリカ軍の無線傍受に当たっていた。スクランブルもかけずに砲撃目標を交信する沖縄戦の状況が聞こえていても何もできない無力感と悔しさを思い知らされる。
敗戦後、沖縄はアメリカに信託統治され各所に基地を造成した。日本は、1952年のサンフランシスコ講和条約により国際社会へ復帰したが、沖縄は日本本土から切り離されアメリカの統治が続いた。外交官になった千葉は、後に妻となる惠子(戸田菜穂)とともにアメリカの大学に留学。サンフランシスコ講和条約に関わった上院議員の講演会に参加した千葉は、なぜ沖縄を日本から切り離したのかを問い質す。講師の上院議員は、「日本人がそう望んだからだ」と答えるだけで、相手にされなかった。千葉は、外交官として「沖縄を日本に取り戻す。それが僕の仕事だ」と恵子に決意を語る。
1967年、佐藤栄作首相と米国・ジョンソン大統領の首脳会談で、1970年までを目途に沖縄返還の時期を決めることになった。千葉はこの年の12月、人事異動で駐アメリカ大使館から外務省北米局北米課長となり、帰国。返還交渉の最前線に立つ千葉は、上司の北米局長・西條公彦(佐野史郎)らに対して、核と基地の二つの大きな問題に対しても「理想を求め、対等に渡り合おう」と強く訴える。だが、千葉の考え方は外務省内での一致した見解ではない。駐米大の植田啓三(大杉漣)は、日本の安全保障のためにはアメリカが自由に基地を使える沖縄は必要という現実論を掲げ、“密約”をほのめかす。
“核抜き・本土並み”の理想を主張し、アメリカとの交渉を進める千葉は、何度も沖縄を訪れては琉球政府主席の屋良朝苗(石橋蓮司)に交渉の推移を報告する。はじめは千葉への警戒心を隠さなかった屋良主席だったが、基地の燃料で汚染される井戸に足を運び沖縄の人々の声を聴こうとする千葉に心を開いていく。1969年、駐日公使のロバート・スペンサーは、日本からの“核抜き・本土並み”の要求と提案をすべて拒否してきた。それでも、千葉は諦めない…。
自らは多くを語らず返還
交渉の“黒子”に徹したひと
理想と主張を曲げず仕事に邁進し、不断の熱意をもって諦めず執拗に交渉する外交官・千葉一夫(1925年~2004年)は、相手のアメリカからも“鬼の千葉”と目されていた。その人柄と仕事ぶりは本作の原案『僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫』(宮川徹志著、岩波書店刊、2017年8月)に詳しい。この著作が刊行されたことで、“戦利品・沖縄”での理不尽なアメリカ施政に理念と主張をもって返還交渉を闘い続けた外交官・千葉一夫の実在が一般に知られるようになった。千葉本人は、返還交渉の多くを語ることはなかった。駐英大使を最後に外務省を退官。晩年は、沖縄返還メモワールを準備したり、惠子夫人とともに沖縄のすべての島を回ったという。最後まで沖縄への想いを大切にしていた千葉一夫と惠子夫人。本作のラストに基地の中に墓所があるのだろう、基地の金網の所で先祖を偲ぶシーミー(清明祭)をしている人たちに出会う千葉夫妻が描かれている。山浦玄嗣著『ケセン語訳聖書』(気仙方言)では、「愛する」を「大事にする」と書かれていたのを思い出した。日米将兵の戦死者よりも県民の犠牲者の方が多数であった沖縄の存在を日本本土に暮らすどれほど人々が、感謝し大事に思っているのだろうか。沖縄知事が首相官邸を訪ねても会わない政府の想いは、本土防衛線の基地の島々でしかないのかもしれない。 【遠山清一】
監督:柳川 強 2018年/日本/100分/映倫:G/ 配給:太秦 2018年6月30日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。
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