6月24日号紙面:寄稿 長崎・天草「潜伏キリシタン関連遺跡」 殉教の地の証しが世界遺産に
2018年06月24日号 08面
写真=1865年に建立された大浦天主堂(長崎市)は日本に現存する最古のキリスト教建築物。国宝指定。潜伏信徒発見の地として知られ、正式名称は「日本二十六聖殉教者堂」
5月3日(日本時間4日)に長崎・熊本両県にある「潜伏キリシタン関連遺産」が、パリにある世界遺産諮問機関(イコモス)の推薦を受けた。
3年前に推薦を受けることができなかったという経緯があり、なぜだろうかと疑問に感じた人が多かったのではないだろうか。世界遺産に認められるためには、まず各国の政府がパリにある非政府機関である専門家会議(イコモス)の審査を受けて世界遺産の推薦を得なければならない。3年前にイコモスから推薦を受けることができなかった理由は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」というタイトルが、「目的があいまいな表現である」とされたためだった。そのようなタイトルの場所なら世界中にいっぱいあるではないか。今回は「潜伏キリシタン」の歴史的「遺産」と目的を明確にしたため推薦を受けることができた。(「キリシタン」は「クリスチャン」のポルトガル語)
一度は推薦を保留され今回の決定をみたのは、日本のクリスチャンにとってはむしろよかったと言うべきではないだろうか。なぜなら、「潜伏キリシタン」という言葉は日本人の心に強く訴える純粋な信仰の響きがあるからだ。日本人ならだれでも学校で「隠れキリシタン」という言葉を聞いている。信仰のために命を犠牲にした人々が同胞の中にいたという歴史は、キリスト教伝道の大きな証しになる。テルトゥリアヌスが3世紀に「1人のクリスチャンの殉教は、種子のように何倍もの信徒を産み出す」と言ったように。
写真=250年余の潜伏期間を破り1865年カトリック宣教師の前に現れた隠れキリシタンの存在は世界を驚かせた(大浦天主堂)
長崎県のクリスチャン人口は4・3%と全国平均を上回る。長崎にはかつての大村氏、有馬氏などのキリシタン大名がいて領民をキリシタンにしたこと、さらに幕末から明治にかけても外国との接触が多く、神戸・横浜などと並んで港町として栄え、カトリック・プロテスタントともに伝道がさかんだったためだ。
今回推薦を受けた全12の関連文化遺産の中には、250年余の潜伏期間を破り1865年にキリシタンが現れた長崎の有名な大浦天主堂が含まれ、また多くの信徒が殺された天草(熊本県)・島原(長崎県)の乱(一揆)などの遺跡も含まれている。そのほか長崎県の平戸や外海(そとめ)など海に面した集落などが世界遺産として推薦された。さらに12の遺産の中の4つは五島列島(長崎県五島市の5つの島)の中にある。
私は今回の推薦決定の直前に、偶然にも五島列島のひとり旅をしていた。ホテルのご主人が私に「お客さんはラッキーですよ。今は客も少なく静かですが、もうじき世界遺産に推薦されるかもしれないので、そうなれば大勢のお客さんが来ますからね」と話してくれた。私が訪ねたのは長崎県民が決定直前でかたずをのんで待っていたときだった。東京に帰り推薦決定のニュースを聞いて、私はすぐにホテルの主人に電話をかけ「おめでとう。よかったね」と言ったら、主人は「ありがとう。さっきもお客さんから『おめでとう』と言われたばかりです」と声を弾ませていた。その主人はクリスチャンではないが、今回の推薦を非常に喜んでいた。きっと多くの県民も喜んでいることだろう。
キリシタン末裔に嗣がれる信仰
人口減少・過疎の五島列島に50もの教会
五島列島には50ものキリシタンを記念する教会があり、島内にはそれを表示する道路標識が立っている。信徒は島民の10%余でキリシタンの末裔が多い。五島列島は人口が3万7千人だが、減少が続いている過疎地だ。教会は辺鄙な所に多く、私のように車を運転しない人間にとっては不便な所が多い。人口減少地域だから教会を維持してゆくのも大変だろう。私が訪れた「堂崎天主堂」は「キリシタン資料館」になっており、日曜日には近くに建てた新しい教会堂で、その地区の信徒がミサを守っている。島内に点在するいくつかの「キリシタン記念教会堂」は、明治時代になってから禁教の高札がなくなり、迫害がなしくずし的に消えていってから建てられたものだ。
しかし、クリスチャン人口が多いと言っても島内の景色は本州とほとんど変わりなく、あちらこちらに寺やその墓地がある。出会う多くの人々はキリシタンとは何のかかわりもない人々だ。コンビニは島内に一つも見かけなかったし、商店街は本州の地方都市と同じようにシャッター通りが多く、歩いているのは私くらい、走っているのは車ばかりで運転している人々には高齢者が多い。
写真=五島列島で最初に建てられた堂崎天主堂(五島市福江)。日本二十六聖人のひとりで五島出身の聖ヨハネ五島を記念し、「日本二十六聖殉教者」を保護聖人としている。長崎県指定有形文化財。堂内のキリシタン資料館では、最初の布教から迫害時代を経て復興に至る歴史が展示されている
日曜日に島では一番大きな福江教会というカトリック教会のミサに参列した。その教会には隠れキリシタンの末裔は少なく、新しい信徒が多いと聞いた。日曜日朝のミサは9時からで、200人ほどの出席者があった。終わってから、島で唯一のプロテスタント教会(バプテスト教会)の礼拝に出させてもらった。10人ほどの小さな集会だったが、牧師の力強い説教を聴くことができた。
五島列島のクリスチャンは長崎の外海(そとめ)地区から逃れてきたキリシタンが始まりだと聞くが、今でも五島列島は長崎からジェット船で1時間半もかかる。昔の人はどのように海を渡って来たのだろうか。今も一番の問題は、しけると欠航になることだ。私も雨の中、船に乗って帰るために港に行ったら、しけのため欠航だという。「このくらいの雨で欠航ですか」とたずねると「外海の波は荒れるのです」と教えてくれた。急いで空港に行き長崎行きの飛行機をさがしたが、やはり直前まで天候調査が続いた。幸い早めに長崎に着き、東京行きの便に間に合ったが、五島列島はたしかに海に浮かぶ日本の西のはずれだ。
中学生のころ、私は社会科の授業で「キリシタン」のことを学び、それがキリスト教という言葉を身近な所で聞いた最初だった。「信仰のために殉教した人々がいたのだ。すごいな」。たぶんこれが私をキリスト教会に向かわせた最初のきっかけだったような気がする。
私と同じような人がたくさんいるのではないだろうか。
今回の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の推薦は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)によって6月には登録される見込みだ。カトリック教会だけではなく、プロテスタント教会や日本の国にとっても、今回の決定は過去の殉教者の血の恵みがあふれ出てきている快挙だと思う。
(鈴木崇巨=すずき・たかひろ、個人伝道研究会「地の果てまで」主宰・日本基督教団隠退牧師)