2018年07月08日号 03面

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 クリスチャンも、クリスチャンでない作家も参加したアートフェスティバル「GOD’S STORY−壮大な救いの物語−」が5月に愛知県日進市の日進キリストセンター(長老教会・日進キリスト教会)で開催された。出品者は創造、堕落、贖い、回復のテーマで制作。絵画や彫刻、写真など30点以上が同礼拝堂で約1週間展示され、最終日には、聖書からのメッセージが語られた。

 同教会宣教師のピーター・ベイクラーさんは芸術大学出身。近年積極的にアート活動を展開し、名古屋市のアートコミュニティーともつながりをもっている。

 同展示の制作過程では、クリスチャンではない作家たちと何度も一緒に聖書を開いた。「ある人は『怒らないで聞いてください』と、聖書への素朴な疑問を向けることもあった。そこから会話が始まる。堕落や贖いなど聖書独特の言葉も、借金や暴力など生活や社会の話題から入り、日常経験から分かるように話した。作家の方々も『そういうことだったのですか』と驚いたり、『イエスは救い主なんですね』と納得することもありました」

 作品制作の思いを語ることで、深い心の話題にすぐに入ることができたことも手応えの一つ。「作品を解説しながら福音を語ることができた。音楽と違って絵画などの視覚芸術は、教会の中での役割は分かりづらい。展示の機会が励ましになる。アートの指導や説明、証しができる人は様々な教会にいるはずです」

 クリスチャンではない人と展示をすることのリスクはある。「キリスト教からはずれたものを制作してしまうかもしれない。様々な考え方に気をつける必要もある。アートとして表現を受け止めることもできるが、教会での展示なので、様々なクリスチャンの受け止め方にも配慮がいる。配置の仕方なども工夫した。一つずつ祈りながら進め、最終的にやってよかったとみなで喜ぶことができました」

スクリーンショット(2018-06-29 9.33.02) スクリーンショット(2018-06-29 9.33.25)スクリーンショット(2018-06-29 9.33.35)

IMG_8028 6 あえて展示は創造、堕落、贖い、回復のテーマで並べなかった。「クリスチャンであるなしも表示しない。作品を通して、考えてもらえるようにした。クリスチャンの作品でもすぐにメッセージが伝わるとは限らないし、クリスチャンではない人の作品でも非常に本質をつくことがあります」

A TAP, AN IDENTITY and a FUTURE

 ピーターさんの出品作の一つは、子どもが水のボトルを見つめている写真作品。人が水から離れている状態、堕落をテーマにした。「ある人はこれを見て、贖いがテーマなのではと話した。水はイエス様の生ける水で、子どもが水を得ることを願っているからと。それも正しいと思った。作者の意図を超えて様々な解釈が可能であり、尊重したい。この展示では作品や作家の思いがメインではなく、神のメッセージがメイン。いい作品がある、教えるということではなく、それぞれがテーマを考え、メッセージを探していくことができるのです」

 ピーターさんは日頃から地域のアートコミュニティーに関わり、展覧会にも参加するなどしてきた。「よく相手の話を聴き、愛を示し、時間をすごす。『作品を作りたい』、『アートの話を聞くのは楽しい』。そのような私の思いは偽りのないもの。共通の興味、生活の話題を話し、私が私であるという真実の姿を通して信頼関係が築けた。神様からの一般恩恵を中心として文化に関わる。今後も各地でこのような展示ができれば」と話した。

 展示最終日に説教をした青木稔さん(長老教会・志賀キリスト教会牧師)は「芸術を通して、今まで教会が届かなかった人々に福音を伝える機会をもてた」と実感した。

 説教冒頭では、額縁から顔を出し、「私は神様の作品です」と語るパフォーマンスも試みた。

 ミケランジェロの例を紹介。バチカンの天井画を描いたとき、人が見ないような端の方も描いたという。「ミケランジェロは『神様が見ている』と言った。彼にとって芸術は、神の栄光のため。芸術を自分のためだけでなく、神の栄光のため、誰かのためにつくる。そのような芸術が本当の芸術になるのではないか。神様はすべての人が信仰を持つことを願っている。芸術家が自分の作品に思いをもつように、神様も、作品である私たちに思いを持っている。とお勧めしました」

 青木さんはピーターさんとは20年以上の仲。しかしピーターさんにアートの背景があることを知ったのは近年のことだった。「ピーターさん自身も芸術と宣教の結びつきをどのようにするかは分からないでいた。しかし東日本大震災後に津波被害があった石巻、女川で支援に関わり、人と人のつながりの大切さを痛感したと語っていた。ドイツやインドでの実践を見て、アートで教会と人々が関わる宣教を確信したと。子どもも自立し、残された日本での宣教の機会をどのようにするか。与えられている賜物を用いようと思ったようです。個展が愛知県で注目され、中日新聞で取材されることもありました」

 「時代ごとに必要な福音の伝え方がある。今、同じ長老教会で、東京のグレースシティーチャーチなど、アートの取り組みをする教会もある。牧師一人でできないことを、宣教師、アーティストと協力し、今まで福音が届かなかった人々に福音を伝える可能性が開かれるのでは」と話した。【高橋良知