15歳、16歳の少年たちが兵士に訓練され狙撃、爆弾を抱えて戦車に特攻するゲリラ戦を戦った沖縄戦

第二次世界大戦末期、アメリカ軍・イギリス軍を主体とする連合軍が1945年(昭和20年)3月26日から沖縄諸島への本格的な空襲と艦砲射撃による“鉄の暴風”とともに口火が切られた沖縄戦。4月1日に連合軍の沖縄本島上陸作戦が展開され、日本軍は防衛線戦を南部へと撤退させられる。6月23日、牛島満第32軍司令官が切腹自決し、沖縄守備軍の指揮系統は壊滅した。だが、沖縄北部では少年兵らによるゲリラ戦や住民を巻き込んだスパイ戦など表の戦史とは異なる、公にはされなかった「裏の戦争」が続いていた。疎開指示を受けていた17歳以下の少年たちを組織しアメリカ兵とのゲリラ戦闘を訓練した特務機関・陸軍中野学校出身のエリート将校たち。また、南西諸島へ派遣され偽名を使い島民らの信頼を裏切り風土病の危険地域へと強制移住させた目的ともたらされた悲惨な結末。戦後70年余語られなかった陸軍中野学校と沖縄戦の顛末は、住民の心情・財産を最大限に利用する軍隊組織の実情を顕わにしており、21世紀の現代へ警鐘を鳴らす衝撃のドキュメンタリーだ。

知られざる少年ゲリラ兵“護郷隊”や
戦争マラリア、スパイ虐殺の実情を追う

沖縄本島北部、国頭郡大宜味村の小高い山。瑞慶山良光さん(89歳)は、そこに寒緋桜を植え続けている。69本の桜を咲かせるのが夢だという。それは、死んだ瑞慶山さんの戦友の数だ。

1944年秋、大本営の遊撃隊構成命令を受けて陸軍中野学校出身のエリート将校らが派遣された。当時22歳の村上治夫中尉を大隊隊長とする第一護郷隊は多野岳・名護に配置され、岩波寿中尉を大隊長とする第二護郷隊は恩納岳に配置された。現地で徴用されたのは、17歳以下の少年たちで、自分の身長よりも大きな銃を与えられて戦った。戦闘訓練は、ジャングルでのゲリラ戦や夜襲、爆破作戦など特殊な戦闘技術を仕込まれた。瑞慶山さんは第二護郷隊に配属され、戦車に特攻を仕掛ける爆破隊に選ばれるなど幾度も死を覚悟する死線を越えてきた。

瑞慶山良光さん(左)さんは寒緋桜を死んだ戦友たちと同じ本数植えることを目指している。

戦争の極限状況は、様々な恐怖心や猜疑心の渦を起こす。護郷隊の内部でも、ある者はアメリカ軍に情報を流すスパイの嫌疑をかけられ、ある者は病気や負傷で足手まといになり上官の命令で殺害された少年兵もいる。高江洲義英(当時17歳)もその一人で、弟の義一さんは戦死と思って兄が銃殺されたことを戦後になって知った。

陸軍中野学校の出身者たちの任務は、ゲリラ戦だけではなく住民を作戦遂行に最大限利用し、一方で作戦の妨げにならないよう管理扇動する。先島諸島に位置する波照間島の住民は、山下虎雄の偽名で国民学校の教師として潜伏した工作員によって西表島の風土病マラリア危険地域へ強制移動させられた。波照間島、石垣島はじめ八重山諸島各地で強制移住による戦争マラリアでの犠牲者は3600人余りに上る。

民衆保護の発想がなかった沖縄戦
今日の自衛隊が学んでいることは

護郷隊の二人の大隊長・村上治夫中尉(後に大尉昇格)と岩波寿中尉は、戦後、戦死したすべての部下の家を訪ねては慰霊の儀を尽くし、遺族の就職の世話をするなど亡くなるまで少年兵と遺族らとの交流を続けた。だが、山下虎雄こと酒井清は、戦後も住民の証言と異なる応答をし、島民への謝罪の言葉もなかった。

沖縄戦では、軍隊は自国民を守る組織ではなかった。少年兵によるゲリラ戦、軍命による住民強制移住とマラリア地獄、隊内および住民へのスパイ嫌疑と虐殺…。軍隊組織は何を守ることを目的として存在するのか。沖縄戦の実体験と記録は、現在どのように分析され法改正や軍備体制に活かされようとしているのか。そして現在、南西諸島の自衛隊増強とミサイル基地配備計画は沖縄とどのように関係していくのか。かつて遂行された“秘密戦”を直視することで、日本の防衛と沖縄の実情が浮かび上がってくる。 【遠山清一】

監督:三上智恵、大矢英代=おおや・はなよ= 2018年/日本/114分/ 配給:東風 2018年7月21日(土)より沖縄・桜坂劇場にて先行公開。2018年7月28日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。
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