小倉北区にある清水会堂

1963年に県庁所在地以外では初の政令指定都市となり、響灘(ひびきなだ)、関門海峡、周防灘の三つの海に面し、日本三大カルストのひとつ平尾台などの自然が共存する北九州市。その「都市」と「自然」両方に会堂を持つのが、日本基督教団の教会で、「ホーリネスの群」に所属する北九州復興教会だ。小倉北区の清水(きよみず)会堂は、いわば街中の教会。一方小倉南区の曽根会堂は、川沿いにあり、川向こうは田んぼで自然豊かな場所にある。

教会名の「復興」には、戦時中の弾圧による苦難からの復興と信仰復興の意味が込められている。初代牧師の山中日出刀(ひでと)氏は42年、米子聖教会在任中に、ホーリネス系の日本聖教会及びきよめ教会への弾圧、さらに解散に遭った。その頃、同じく弾圧を受け解散となったのが、北九州の門司聖教会、戸畑聖教会、八幡聖教会。3教会の信徒が、戦後、開拓伝道を開始した山中牧師と共に一つの教会として歩みだすこととなる。そして50年秋、旧ホーリネス系の信徒の支持、新しい信徒の加入によって、一つ目の会堂、清水会堂の完成に至った。
現主任担任教師の久多良木(くたらぎ)和夫さんは、「曽根集会所は、清水から生み出された教会」と語る。曽根地区が定期集会を開始したのは、69年。「曽根の地域でも、礼拝・伝道のための拠点が欲しい」。曽根地域から清水に出席していた信徒のそのような願いが始まりだった。その思いを継ぎ、現在でも、礼拝は会堂ごとに捧げている。

久多良木和夫さん

一つの教会、二つの会堂、三人の教師

小倉南区にある曽根会堂

2会堂であっても、一つの教会だ。体制としても霊的にも一致するため、各会堂の役員が共に集まる毎月の役員会、また2か月に1度の講壇交換礼拝、毎月1回、「曽根合流祈祷会」を行っている。
牧会については、久多良木さんと、妻・志津子さん、曽根会堂を担当する富山希望(とみやま・のぞみ)さんの教師3人。教職者の間では、週に一度お互いの教会の祈祷課題や状況のシェアも行う。
曽根会堂は、80年の献堂以来、独立組織、独立会計で歩んできた。90年代、両会堂の関係を対等にして、共同牧会という形を取った。会堂が二つあるとはいえ、全国的に教職者数が減っている中で、教師が3人いることはお互いにとって大きな恵みだという。

共同牧会をする上での難しさを富山さんに尋ねると、あまり答えが思い当たらない様子だった一方で、感謝な点を聞くとすぐに答えが返ってきた。
「私は女性なので、男性の信徒の方の牧会は難しいなと感じることもある。そんな時アドバイスだったり、久多良木先生から男性の信徒の方にお話をしていただいたり、心強いです。1教会2会堂という珍しい形でやっていますが、結果として、共同牧会で一緒にやっているというのが形として最適だったのではと皆さんとよく話をしています」

富山希望さん

もちろん、とんとん拍子だったわけではない。一時は清水会堂からの独立の機運が高まったことや、それぞれの会堂が難しさを覚える時期もあった。それでも、共に祈り合い、共に乗り越え、家族ぐるみのような関係性でここまでつながってきた。会計や建物は別でも、同じ教会の兄弟姉妹という感覚は常にある。

「建物は別でも、同じ教会の兄弟姉妹」

実際に、親戚でありながら、清水会堂の方が近いという理由で清水会堂に通う人、曽根会堂の方が近いという理由で曽根会堂に通う人もいる。信徒の多くは、青年時代に信仰を持ち、クリスチャン同士で夫婦となり長く教会生活に励み、今もなお教会の奉仕の核となってきた人々だ。「自分自身の信仰が確かなものであり、喜びに満ち、教会の礼拝を共に捧げることを何よりも喜びとする教会員であってほしい」と久多良木さんは語る。およそ80年の期間に、教会から出た献身者は20人ほど。信徒は仕事のために他の都市へ出ていった後も、それぞれの地で信仰を守り、この地域に里帰りする。
召天者記念礼拝も、北九州復興教会では、帰省者の多い時期の8月第2日曜に各会堂で行う。この日の礼拝は、それぞれ普段の3倍ほどの人数となる。現在は、天の御国の希望を指し示したいという願いのもと、清水会堂内にある納骨室に替えて境内地に納骨堂の建設をめざしている。

清水会堂での敬老祝会(2013年)

20代から50代という若い世代の教会員が少ないという課題がある一方で、他教会に籍を置きつつ、仕事の関係で北九州に来ている信徒もいる。市内にミッションスクールの西南女学院があり、教会学校に生徒たちが訪れることも多い。
両会堂が特に力を入れているのが地域伝道だ。21年から、清水会堂では、10月を秋の特別歓迎礼拝月間とし、10年から曽根会堂では、毎年11月23日に秋のチャペルコンサートを開いている。今年で5年目となる清水会堂での特別歓迎礼拝月間では、週ごとに両会堂の教師と外部の講師が求道者向けのメッセージを行う。信徒からは証し者が立てられる。久多良木さんは「今後は、歓迎礼拝と共にチャペルコンサートや楽しいイベントなども行って、さらに開かれた場になれたら」と語る。

曽根会堂での秋のチャペルコンサート(2012年)

久多良木さん自身、大学生になる前までは、キリスト教とは全く縁のない生活を過ごしていた。中学3年生の時の右目の眼底出血と、高校1年生の時の網膜剥離(はくり)による治療の打ち切りを経験し、将来に対する不安や恐れを封印しながらも、どこかで確かなものを求める日々だった。その後、クリスチャンの友と出会い、受洗。「私自身は、天国の命の約束をいただき、最高の良いものをいただいた。これで大丈夫だ。良かった、良かった、で果たして良いのだろうか。自分のもとに福音が届いたのは、その伝道のために労してくださった方々がいたおかげではないのか」。久多良木さん自身が献身を決意したのも、そのような思いがきっかけだった。

一方、富山さんは牧師家庭で育った。幼い頃から信徒に愛され、教会で育てられた、という感覚があるという。信仰生活の道のりに紆余曲折はあれど、教会は常に、自身にとって家のような居心地のいい場所だった。そんな場所で、長く教会生活を守っている兄弟姉妹の姿を見てきたことから、徐々に献身へと導かれた。遣わされた曽根会堂を見てもそうだ。曽根集会所のスタートに関わった信徒の中には、90代で健在の方もいる。経済的に厳しさを覚えようとも、出席者数がなかなか増えなくとも、曽根会堂を開き続けるという思いのもと地域伝道のために労してきた信仰の先輩が側にいる。
富山さんは地域伝道をビジョンに掲げて、牧会をするうえで、次のみことばを握りしめる。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから」(使徒18・9、10)。

かつて教会学校に通っていた者、賛美をしたことがある者、真理を求めている者……。2つの会堂がそれぞれの地域でいつも開かれた場所であるからこそ、彼らがふと帰りたくなったとき、そこにはいつでも帰る場所がある。
【松尾結実】


二会堂が唯一合同で行う元旦礼拝

 

日本基督教団「ホーリネスの群」北九州復興教会

●清水会堂 〒803-0841 北九州市小倉北区清水3-5-15 TEL/FAX:093-561-0806
●曽根会堂 〒800-0223 北九州市小倉南区上曽根2-6-22 TEL/FAX:093-471-8951

2025年04月06日号 01面掲載記事)