「ただ謝罪を求めて」控訴したトニー(手前中央)だが… (C)2017 TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL – EZEKIEL FILMS – SCOPE PICTURES – DOURI FILMS

中東アラビア語圏にあってはめずらしい多民族多宗教国家のレバノン。その他宗教・多宗派が混在する複雑な政治体制は、慣例として大統領はマロン派、首相はスンナ派、国会議長はシーア派から選出ことで微妙なバランスを保っている。それだけに、内奥に封じ込められている民族的なプライドや宗派的な心情の本音が、何かのきっかけで表出しかねない。そんな日常茶飯な二人の男のささいな諍いが、裁判沙汰になり、マスコミ騒動からついには政局にかかわる問題にまで発展しかねない今日的状況を描いているこの物語は、あらためて過去の戦争の謝罪と和解、背負っている民族的なプライドと正義、裁判と政治の限界について普遍的な問いを語りかけている。

【あらすじ】
レバノンの首都ベイルートの住宅街で違法建築の補修工事が行われている。パレスチナ難民のイスラム教徒の現場監督ヤ―セル・サラーメ(カメル・エル=バシャン)は、レバノン人のトニー・ハンナ(アデム・カラム)が住むアパートのバルコニーからの水漏れを防ぐため新たに配水管を取り付ける工事を行なった。だが、トニーは憤慨してその配水管を破壊してしまう。意を尽くして説明しても聞き入れられずに配水管を破壊されたヤ―セルは、トニーに「クズ野郎」と吐き捨ててその場を立ち去った。

マロン派キリスト教徒で右翼政党レバノン軍団党首サミール・ジャアジャアの熱心な支持者でもあるトニーは、パレスチナ難民ムスリムのヤ―セルがついた悪態を断じて許すことが出来ず、建築会社の事務所に乗り込んで「謝罪しなければ、ヤ―セルと会社を訴えるぞ」と激しく抗議した。上司に言われて仕方なくトニーが経営する自動車工場にやってきたヤ―セルだが、敵意むき出しのトニーが吐いたパレスチナ人を侮辱する一言に激昂して無防備なトニーを殴りつけ肋骨2本を骨折する大けがを負わせてしまう。

怒ったトニーは、出産間近の妻シリーン(リタ・ハーエク)が諫める言葉も聞き入れずヤ―セルを告訴する。ヤ―セルは、キリスト教徒の妻マナール(クリスティーン・シュウェイリー)を伴って警察に自首してきた。裁判官は、慰謝料や示談金ではなく「ただ謝罪を求める」トニーの主張からも、事件の発端が問題の本質ではないことを察知し、ヤ―セルに吐いた暴言の言葉を尋ねるが、トニーもヤ―セルもその暴言については沈黙する。仕方なく、裁判長は証拠不十分で訴えを棄却すると、判決を不服としてトニーは控訴する。

口にすることもできない侮辱の言葉を受けたヤ―セル(立っている男性)だが… (C)2017 TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL – EZEKIEL FILMS – SCOPE PICTURES – DOURI FILMS

控訴審を前にけがを負っているトニーは、無理して工場で気絶した。それを発見した妻シリーンが必死に介抱しているとき陣痛に襲われ病院に運び込まれたが、どうにか出産でき母子ともに守られた。トニーは、大手弁護士事務所のワジュディー・ワハビー弁護士(カミール・サラーメ)に代理人を依頼した。すると、貧しいパレスチナ難民のヤ―セルに、人権派として知られている女性弁護士ナディーン(ディアマンド・アブ・アブード)が弁護費用を無視して弁護を申し出てきた。ヤ―セルは、トニーに大けがを負わせた非は認めているが、侮辱された暴言についてはトニー同様しゃべらない。控訴審は、レバノン人とパレスチナ難民、レバノン内戦を経てきた二人の民族性や政治問題など情況証拠の論戦が白熱していく。反目し合う双方の弁護士は、法廷外でも衝突し合いマスコミ報道も過熱し、ついには民衆を巻き込んで政治問題へと発展していく。

ただ謝罪を求めているだけのトニーと、パレスチナ人として我慢できない暴言を受けただけに謝罪できないヤ―セル。二人の裁判なのだが、肝心の二人の心情が取り残されていく。双方の民衆の怒りが煽られ、政治問題へと過熱し収拾がつかなくなりつつあるなかで、取り残された二人は、互いに心情を慮れるようになっていくのだが…。

【見どころ・エピソード】
2015年現在の物語として歴史的事実や政治家の名前は実名で語られているだけに、ストーリー展開はリアリティがある。裁判から法廷外での激論がレバノン内戦など悲劇的な事件を思い起こさせ民衆の暴動へと発展。大統領が仲裁に努めるに至っては、レバノンの情勢に疎い人たちには笑い話のように受け止められかねない。だが、笑って済む話ではなく、どうにか保たれている民族・宗教・文化・歴史問題の本質がさらけ出されていくとき、裁判や政治の限界点を思わされる。本編で右派政党レバノン軍団党首のサミール・ジャアジャア(リファアト・トルビー)が民衆に語り掛ける台詞は、紛争や歴史問題を抱えるどこの国や地域の人々にも、示唆に富んだメッセージとして心に響いてくる。 【遠山清一】

監督:ジアド・ドゥエイリ 2017年/レバノン=フランス/アラビア語/113分/原題:L’insulte、英題:The Insult 配給:ロングライド 2018年8月31日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開。
公式サイト http://longride.jp/insult/
Facebook https://www.facebook.com/movie.longride/

*AWARD*
2018年:第90回アカデミー賞受賞外国語映画賞(レバノン)ノミネート。レバノン映画賞作品賞受賞。パームスピリングス国際映画祭境界の架け橋賞受賞。 2017年:第74回ベネチア国際映画祭ルピ杯(最優秀男優賞=カメル・エル・バシャ)受賞。バリャドリード国際映画祭観客賞・ソシオグラフ賞・ゴールドブログズ賞受賞。その他多数。