2019年04月07日号

 「沖縄本島から宮古島まで約30〜40分。東京から横浜に出る感覚です。案外近いですよ」と坂口聖子さん(日本基督教団宮古島伝道所牧師)は言う。坂口さんは横浜育ち。牧師の働きのほか、ヒップホップダンスやパソコン関係の仕事をしもている。それらの仕事の関係で、月1、2度は東京、宮古島を行き来する。宮古島に来て2年。地域の諸教会との活動、市民との活動などアクティブな面も多いが、父や夫の喪失と孤独を経験してきたことから、「人はなぜ生きるのか、なぜ死ぬのか」をテーマにし続けてきた。【高橋良知】

父、夫を亡くし、「なぜ生きるのか、死ぬのか」を問う

祖父母以来の牧師家庭で生まれ、母も牧師だった。幼少から教会が当たり前の生活だったが、思春期は教会生活から離れた時期もあった。「人生の転機は15歳で父を亡くしたこと、また29歳のときに夫を亡くしたことです」
高校卒業後は就職し、21歳で結婚。27歳でルーテル学院大学臨床心理学科で心理学を学んだ。ところが、夫がガンを発症し亡くなった。「『なぜ、人間は死ぬのか、生きるのか』という哲学的、神学的な問いをかかえ、大学の神学の授業にも出て、先生方と話すようになりました」。その後、旧約聖書やヘブライ語を学ぶため上智大学大学院神学研究科に進学。日本基督教団の検定試験を経て横浜で伝道師となった。好きだったダンスやアロマテラピーを通して身体性と癒やしをテーマとした活動もするようになった。「ダンスは昔からやっていたが、特に夫が亡くなった後、集中して取り組んだ。身体を動かすことで癒された。自分にとって踊ることは祈りだと思っています」。聖書の中ではミリアムを尊敬しているという。総合ダンススクールONEゴスペルダンススクール(新宿)のスタッフでもある。このような取り組みが宮古島でも生かされることになった。

宮古島に遣わされ、諸教会とつながり文化を発信する

先に母が牧師をしていた宮古島伝道所を手伝い、2年前に担任牧師に就任した。島では基地問題にも関わる(3月31日号参照)。「神奈川教区でも社会問題に取り組んでいたが、最初から沖縄問題に関心があったのではなかった。私にとって生と死の問題が中心にあった。島に来てだんだんと沖縄の痛みについても感じるようになりました」

宮古島伝道所は、宮古島出身の国仲寛一が敗戦後、東京から故郷に戻り、信徒伝道者として始めた教会だ。宮古高等女学校校長に就任した1947年に、宮古島初の教会として始まった。高校生たちをトラックに乗せて国立ハンセン病療養所南静園でも礼拝活動をした。49年に国仲は結核で亡くなるが、本人の希望で、同園の納骨堂に遺骨が納められた。「そのころの高校生たちから芸能人、市長、牧師らが輩出された。一人ひとりを大切にする精神が脈々と続いていると思う」と坂口さんは言う。
宮古島に来て気づいたことは、「人と人の距離が近いこと。信徒の方が収穫したゴーヤやキュウリを気軽にもってきてくれる。ただ都会の教会とは違い、待っていても新しい人は来ないので、何か新しいことをしなくてはいけないと思いました」
「つながりが重要だ」と考え呼びかけたのが、超教派での月1回の勉強会。毎回30〜40人が集っている。また協力して島の教会を紹介する月刊誌「んみゃーちゃーち」を発行した。「千200部刷り、各教会で利用している。島は土着の関係が強く、興味はあっても教会に行くことが難しい人たちがいる。しかし読み物なら気軽に渡していけると思う」。証しも充実させている。「90歳の現役牧師や島に来た神学生などに、お話をみんなで聞きにいった。島の外の人に対しても、宮古を知ってもらえるものになる。同じ離島でもほかの島では、このようなつながりはない。『まずは宮古から盛り上げ、沖縄、日本、世界を盛り上げていこう』という意識をみなで共有しています」。
ほかにも超教派のゴスペルダンスチームや合唱団、バンドもある。「何かあれば踊る文化がある。温かい気候なので、からだを動かしたくなる気持ちになる」と話した。
*        *
「『離島にいる』と言うと『何もなくてつまらなくない?』と言われることもある。しかし、コンビニやマクドナルドなど一通りのお店はあるし、むしろきれいな海、空がある。朝には地元の人はみな銭湯のように海に入っている」と島の魅力も語った。「『離島』という言葉も本当はあまり使いたくない」と話す。「それはどこかに中央があることが前提になっている。地球の中で、どこに中心があってもいいと思う。宮古から別の沖縄も発信したい。宮古にいることで、『中央』から離れたいろんな地域と対話できたら面白い。南から変えたい」
現在新会堂を建設中だ。旧会堂も残しゲストハウスやダンスなどカルチャースクールもできる場にしたいと考えている。「宮古から文化を発信していきたい。子どもたちにもいいものを見せたい。基地問題もそうだが、経済格差から来る様々な課題が島にある。子どもたちはその中で進路も限られたものしか選ばざるを得ない状況がある。お金中心ではないものを見せ、価値観を選択できるようにしたい。時間がかかるけれどそれが大事なことだと思う。励まし、慰めの働きを、イエスの使命にあずかって小さな島、南からやっていきたいと思っています」