ホーリネス教団創立年変更 1901→1949 主流意識を反省 戦前の歴史を「共有遺産」に
1949年は、戦時下の国策によって日本基督教団第6部に合同されていた旧日本聖教会の流れをくみ戦後日本基督教団内に再建された「ホーリネスの群れ」から、車田秋次(1887〜1987)らが離脱し「日本ホーリネス教会」と称して今日の日本ホーリネス教団を創立した年。その後、同教団内で次第に「1901年創立、1949年再建」と表現されるようになっていた。
この「1901年創立」という表現については、96年第33回教団総会において「日本ホーリネス教団の信仰告白」制定について議論された際、前文の中にこの文言があることについて疑義が出され本文だけを採択。翌年第34回総会で「日本ホーリネス教団は、他の同系姉妹諸教派と同じ戦前の日本ホーリネス教会の信仰と精神を継承するものとして、1901年をもって教団創立(宣教開始)の年とする」との信条委員会の回答を承認し、前文も草案どおり可決して「1901年創立」が公式見解となった。
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源流の歴史としては、1901年に中央福音伝道館と聖書学院が開設されてから次第に教派形成が進み、正式には17年に「東洋宣教会ホーリネス教会」が設立された。しかしリバイバル最中の33年、再臨信仰やユダヤ人の位置づけ等をめぐり中田監督と車田ら委員派が対立。両派の協議により36年、互いに名称に「ホーリネス」を使用しないことなどを申し合わせた「和協分離」が成立、委員派の日本聖教会と中田派のきよめ教会が設立された。41年の日本基督教団成立に際し、日本聖教会は第6部、きよめ教会は第9部に属することとなった。
やがてホーリネス系諸教会で説かれていた再臨信仰が当時の治安維持法違反容疑に問われ、42年牧師らが検挙されるホーリネス弾圧事件が起こる。その際第6部の牧師らが取り調べに対し、再臨信仰の責任を第9部に負わせるような言い逃れをした事実が文献などから分かってきた。97年第34回教団総会で可決した「日本ホーリネス教団の戦争責任に関する私たちの告白(戦責告白)」は、そうした弾圧時の裁判で旧きよめ教会を切り捨てた発言に対しても悔い改めを表明した。
以後それに基づき、旧第9部に属した諸教会への謝罪と和解の取り組みや共同歴史検証などを進めたが、その中で基督兄弟団から日本ホーリネス教団が「和協分離」の約束に反して教団名に「ホーリネス」を使用した問題が指摘された。これは名称問題にとどまらず、創立年に関連して「主流意識・本流意識」が問われることとなった。
今総会の決議では、「私たちは、ホーリネス信仰の継承を願って日本基督教団を離脱し、『日本ホーリネス教団』を設立した時の原点に立ち戻るために創立年を1949年に変更する。そして、1901年からの歴史をホーリネス系姉妹諸教派共有の遺産として受け止め直す」とともに、「私たちは、ホーリネス信仰を継承し続けるために、現名称を用いる。ただし、和協分離における覚書違反をしているという罪責を負い、私たちの内にある主流意識と向き合い続けていく」ことも表明した。
3月25〜27日開催の第71回年会においては、基督兄弟団から元理事長の長内和頼牧師と現理事長の小平牧生牧師を招き、年会講演と聖会を行う。