『聖書翻訳を語る』(新日本聖書刊行会編、いのちのことば社、1,080円税込、A5判)

 一昨年に刊行された『聖書新改訳 2017』の翻訳改訂作業を解説する『聖書翻訳を語る』(新日本聖書刊行会編)が1月に出版された。1970年に刊行された『聖書 新改訳』の全面大改訂の中核を担った聖書学者、日本語学者の手になる本書から、その訳業の一端を連載で紹介する。今回は「第2章『新改訳2017』〜新約で何が新しくなったのか〜」(新約主任・内田和彦)の編集部による抜粋、要約である。

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半世紀の間に生じた日本語の変化、聖書学の進展への対応や、旧新約の訳語の調整など未解決だった課題に取り組み、新約聖書における様々な改善を行った。

 1.より適切な日本語

今日あまり使用されない、誤解を招きかねない、意味がよく分からない言葉を別の言葉で置き換えた。

 「命じる」の意味の「言いつける」は、「告げ口」の意味で使われるので、「命じる」に変えた。「戒める」も同様に「警告する」「叱る」。

 「人をやり」は「人を送って/遣わして」。

   「ひもじかった」は「空腹になった」。 「患難」は「苦難」(黙示録を除いて)。

   「かわやに出されてしまう」は「排泄されます」。

  「しわざ」は「行い」や「わざ」、「とも」は漢字の「船尾」に変えた。

  「不品行/不品行な者」は、性的不道徳を意味する原語から「淫らな行い/淫行/淫らな者」に置き換えた。

 「つぶやき」は、昨今のツイッターの普及により、否定的な意味合いで使われなくなったため、文脈に応じて「文句を言う」「不平を言う」などに言い換えた。

 「徳を高める」も内容が分かりにくくなっているので、「霊的な成長のため」「人を育て」「人の成長に役立つ」などと言い換えた。

反語的に否定を期待する「〜できましょう」の疑問文は、より明確に「〜できるでしょう(か)」と結んだ。

 まぎらわしい表現も整理した。「〜できるために」「〜ないために」は、目的であれば「〜できるように」「〜ないように」とした。理由を意味する「〜のために」は可能な限り「〜のゆえに」と言い換えた。すべてを修正しなかったのは、「ゆえに」が文語的で普通の文章では違和感があるからである。

 「会堂管理者」は「管理人」の印象を与えるので「会堂司」に、「(最高)議会」は司法機関ゆえに「最高法院」とした。 

 世代、個人によって、表現の受け止め方は異なるが、聖書にふさわしい日本語と、標準的で分かりやすい訳語の採用を心がけた。

 2.簡潔で読みやすい訳文

 簡潔な訳文にするため、不要な代名詞を省いた。「もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません」は「もう、息子と呼ばれる資格はありません」となった。

 また、省略できる接続詞も多くあった。文末に「〜からである」とあれば、文頭の「というのは」「なぜなら」は不要である。

 さらに、動詞の重複表現の多くを簡略化した。「答えて言った」は「答えた」、「説明して言った」は「説明した」といった具合である。

 単独の「御名」は原文では「彼の名」であり、「イエスの名」とあれば「イエスの御名」とはしなかった。ただし、「主の御名」「あなたの御名」は定着した表現なので、変えなかった。

 3.理解しやすい訳文 

 イエスによる叱責は、「〜です」ではなく「〜だ」で結び、イエスに反発した者たちの言葉は、敬体の「くれるのですか」ではなく、常体の「くれるのか」とした。

 「着物」という言葉には「和服」のイメージがあるので、「着る物」に変えた。

 また、段落替えを新たに行ったり、解消したりすることで、理解しやすくした箇所もある。

 これまでより漢字を増やしたが、名詞の「皆」と副詞的用法の「〜はみな」、「祈り(非物質)をささげる」と「いけにえ(物質)を献げる」といった、きめ細かな使い分けもしている。

 「降る」と「下る」、「真の」「まことの」など、漢字の使い分けにより、原語の違いを訳文に反映させた例もある。(つづく)