ルワンダ虐殺25年 「憶える礼拝」を東京で開催 教会は「加害」に対抗できるか

 民族対立の憎悪をかき立て悲劇を生んだルワンダ虐殺から25年がたつ。これを記念する週(記念日は4月7日)に合わせて、ルワンダから日本に留学中の2人を招いた「ルワンダ虐殺を憶える受難週夕礼拝」が東京・品川区のバプテスト連盟・大井バプテスト教会で4月14日に開かれた。キリスト者が9割とされる同国で起きた悲劇から、教会の在り方を問いかける内容となった。【高橋良知

 

 来日した2人は2018年から1年間、東京外語大学に留学している。ルワンダでは、プロテスタント人文社会科学大学(PIASS)平和紛争研究学科の学生。同学科長は「癒しと和解」のプロジェクトを展開する佐々木和之さん(バプ連盟・洋光台キリスト教会会員)だ。「憶える礼拝」は、佐々木さんの働きを支える日本の青年らが中心となって企画した。

 証しは、ルワンダ出身のムレカテテ・シュクルさん。フツ族、ツチ族の対立は長らく続いていており、1959年にシュクルさんの祖父母はタンザニアに難民として移住していた。シュクルさんも生まれはタンザニアだ。ルワンダに戻ったのは94年の虐殺が収まってから。

 幼い頃から虐殺の証言を聞き、悪夢でうなされたこともある。自分自身と他者を助けたいという思いからPIASSで学ぶようになった。証しの最後には、「教会は虐殺やその他の残虐行為に対して戦いを挑めるほどの強さをもっているのだろうか」と問いを提示した。

 祈りと賛美を導いたのは、ルワンダの隣国ブルンジ出身のイシシャツェ・エリー・ロドリグさん。平和、一致、和解の神に呼びかけ、「私たちがここに集ったのは、愛することに敗れ、平和をつくれなかったから。25年前、あなたがなされたように隣人を愛して死ぬのではなく、逆に隣人を殺しました」と述べ、悔い改めと赦しを求めた。生き延びた人のためには癒しを、加害者に対しては、悪の行為の重さの気づきと和解のプロセスを歩めるようになることを祈った。

 聖書メッセージは、カーソン・フーシー宣教師(コーポラティブ・バプテスト・フェローシップ)。冒頭でイエス・キリストに対する、歓迎、疑問、憎悪といった群衆の反応の変化を描写し、ルワンダ虐殺に至る人々の心を想起させた。「ルワンダでは、民族対立が激化し、路上やラジオでヘイトスピーチがあふれ、人々が群集心理に巻き込まれた。教会も殺りくの現場になりました」

 「私たちがそのような極端な行為をするとは想像できないかもしれない。しかし私たちは全員、何が神の目に正しいか知らず、隣人に対し、主に対して罪を犯す存在。悪に染まる可能性がある」と述べ、「私たちはどのように正しい道を歩めるだろうか」と問いかけた。

 詩篇121篇を引用し、丘(山)に目を向けることを勧めた。ゴルゴタの丘での十字架への歩みから、イエスの無限の愛を語り、被造物への愛を勧めた。オリーブの丘の昇天から、真理へ導く聖霊の希望を伝えた。ルワンダが「千の丘の国」と呼ばれることに触れ、「ルワンダでなされた主のわざを知り、私たちも一緒に希望をもって前に進める。イエスは墓からよみがえり、闇に打ち勝った。神の恵み、平和、愛に目を向け歩もう」と励ました。

 最後に「主の晩餐」が執り行われ、参加者それぞれが講壇前に進みパンとぶどう液を受け取った。

 和解のたゆまぬ努力

 シュクルさん、ロドリグさんは、PIASSでどのような和解の学びをしてきただろうか。

 シュクルさんは、当初、

「虐殺が起きたルワンダで和解は不可能」と思っていた。だが授業の中で、被害者と加害者が対話する機会があり、どのように、和解の歩みを始め、どんな関係性をもち、これからどのようにしたいかなど、様々な質問をする中で、「想像もしなかった変化が心の中で生まれた」。

 それまでは加害者に強い嫌悪感をもち、彼らと話したことがなかった。しかし、虐殺に参加した人と握手をできるまでになった。その後も和解の活動に関わっている。

 ロドリグさんの父は牧師で、ブルンジのNGO「平和創造のための新機軸」の創設者。PIASSで学んだこととして、平和をつくるための三つの視点を挙げた。①個人レベルのたゆまぬ努力、②様々な人々との協働、③制度や組織の変革。「目に見える戦争が無いだけではなく、日常生活でどれだけ暴力を減らすことに努めているか。まず私

自身の足下から平和を考え行動すること。そして平和のためには人々との協働が不可欠。さらに構造的あるいは文化的な暴力を克服していくためには、家族、学校、病院、政府などがより愛に満ち、透明性を高め、公正でなくてはならない」と語る。ほかにも多様な国籍、背景、教派の異なる学生たちとの学び、活動から学んだという。

  「佐々木さんを支援する会」 http://rwanda-wakai.net/