4月28日号紙面:パリのノートルダム大聖堂 大規模火災、尖塔が崩壊
※先に配信された記事の中に、誤ってカナダにあるモントリオール・ノートルダム聖堂の写真が使われておりました。お詫びして訂正いたします。
パリのノートルダム大聖堂 大規模火災、尖塔が崩壊
4月15日夕方、大規模な火災が発生し、尖塔が崩壊した。
世界教会協議会(WCC)総幹事オラフ・ドウェイト氏は、悲しみに満ちたコメントをWCCホームページで発表。「WCCは2015年12月1日に国連気候総会議に合わせ、ノートルダム大聖堂でキリスト教諸派と共に『神の創造』をテーマにした礼拝を行っていた。美しい聖堂の装飾が私たちの距離を縮めさせてくれた」と話した。
【CJC】「パリのノートルダム大聖堂」(カトリック教会パリ大司教座聖堂。日本では“ノートルダム寺院”と呼ばれることが多い)でイースター(復活祭)を控える「聖週間」(プロテスタントの「受難週」にあたる)。
地元AFP通信などは、火災が発生したのは、一般公開の時間が終わったすぐ後で、炎と大量の煙が立ち上る光景を、パリ市民や観光客らは戦慄(せんりつ)の表情を浮かべて見守った、と報じた。
大聖堂の広報担当者はAFP通信に、火災は15日午後6時50分(現地時間)ごろ発生し、炎により屋根を支えていた木製構造物が破壊されていると語った。消防当局は、火災が当日行われていた修復作業と「関連している可能性」があると見ている。
パリ市のエマニュエル・グレゴワール副市長はテレビ局BFMTVに、尖塔は「内側に崩れ落ちた」と説明、「甚大な損傷」を受けたとし、救援隊員らが「救い出せるすべての芸術作品を救う」ために奔走していると述べた。
アンヌ・イダルゴ市長はツイッターで、「恐ろしい火災」と述べ、「パリ消防当局が鎮火を試みている」と投稿した。
エマニュエル・マクロン仏大統領は、同日夜に予定していた国民へ向けた政策関連のテレビ演説を中止、現場に駆けつけ、「すべてのカトリック教徒とすべてのフランス国民と共に、自分たちの一部が燃えているこの光景を悲しんでいる」と述べた。
大聖堂は、12世紀半ばに建設が始まり1330年ごろに完成、フランスのカトリック教会の中心的な地位にあった。
しかし、フランス革命中には、反キリスト教運動によって破壊と略奪が繰り返され、荒廃した。
その後、帝政を宣言したナポレオン・ボナパルトの戴冠式が1804年に行われたのも、この大聖堂だった。
ヴィクトル・ユーゴーの名作『ノートルダム・ド・パリ』の出版をきっかけに、国民的な修復運動が広がり、1846年に全体の修復が完了した。
1991年に大聖堂を含む周辺の文化遺産とともにユネスコの世界遺産に登録された。
2015年には、パリ同時多発テロ事件の追悼ミサが開かれた。東日本大震災に際しても犠牲者を悼む祈りが捧げられた。