低層炭坑での坐り掘り。左下には作兵衛さんの作詞だろうかゴットン節は記されている。

2011年(平成23)5月25日、明治生まれの元炭鉱夫・山本作兵衛(1892年[明治25]~1984年[昭和59])さんが炭鉱夫時代に書き綴った日記と炭鉱の生活記録など697点が、炭坑社会のあらゆる分野が描かれた貴重な歴史民俗資料として日本初のユネスコ世界記憶遺産(世界の記憶)に選定された。本作で熊谷博子監督は、作兵衛さんが炭鉱で働いた明治・大正から昭和中期までの石炭繁栄と衰退の時代を、作兵衛さんが残画文と家族やかかわった人たちの証言をとおしてたどりながら、日清・日露戦争、第一次世界大戦そして満州事変から太平洋戦争を維持したエネルギー基幹産業は石炭から石油、原子力へと移り行くなかで作兵衛さんが見つめていた国の在り様の変わらないものを掘り下げている。

命を張って炭鉱仕事を貫いた
目は優しく癒しに満ちていた

最盛期には、日本のエネルギーの石炭を6割採掘していたといわれる九州・筑豊炭田。作兵衛さんが7歳のとき、一家は筑豊炭田に職を得た。文明開化の明治期、鉄道の路線が伸張するなかで八幡製鐵所などさまざまな産業が興され基幹エネルギーとして重用されてきた石炭。ドキュメンタリーは、九州中部から響灘へ流れる遠賀川流域に広がる筑豊炭田と石炭産業の盛衰を紐解く。

田川、飯塚、直方など大炭鉱から中小炭鉱がひしめく筑豊炭田。作兵衛さんは、兄とともに坑道に入り両親の仕事を手伝う。通常4年修業の尋常小学校を出席日数不足のため5年がかりで修了。高等小学校(修業4年)は80日しか通学できなかった。それでも、小学校で写生の出来栄えを生徒たちの前で褒められたうれしさや、国語の辞書を丁寧に書き写して独学自習する頑張りが、昭和になって炭鉱が閉山したのち、絵筆を奔(はし)らせ炭鉱に従事する者たちの危険な作業に割の合わない貧しい生活を画文に記録した。炭鉱は閉山で消えていくが500を超すボタ山(石炭に混じって排出された土砂や岩を積み上げた場所)は残る。「孫たちにヤマ(炭坑)の生活やヤマの作業や人情を書き残しておこうと思い立って描き始めた」水墨画にやがて水彩をつけたと語る作兵衛さんの目は優しい。だが、孫の井上忠俊さんは、「じいちゃん、こわい」と言っていたいう。炭坑の絵に描かれている抗夫が落盤や水脈破裂などの危険に命を張って鉱脈を削る厳しい眼差しの目つきが残っていた。

在りし日の作兵衛さんとタツノさん夫妻。

作兵衛さんが働いていた坑内の高さは60~45センチで、狭くて暑苦しく、カンテラの小さな灯りのなかで地の底に這いつくばりつるはしで鉱脈を削るのは先山(さきやま)。掘り出した石炭を炭車に積む后山(あとやま)。先山と后山はほとんど夫婦一組になって稼ぎ、家族を支える。少しでも賃金の良い炭田が見つかれば何か所も渡り歩く。最低限の暮らしを守るため妻子を連れて炭田を流転する坑夫の暮らしを描いた山本作兵衛の『画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録』(1967年刊)に寄稿した詩人の金子光春が「ボードレールの“カインとアベル”のうらぶれたカインの姿のように、凄愴でさえある。」と表現した言葉が思い出される。

だが、作兵衛さんの画文をに描かれている坑夫やおんな坑夫たちの表情は、凛としていてたくましい。描き始めた当初、おんな坑夫の肌着を着せて描いていたが、一人のおんな坑夫が「こんな格好は嘘だ」と言てからは、ありのままの姿で描いた作兵衛さん。「たった一つ嘘がある。坑内はこんなに明るくない」と語っていた。

「思へば悲シ 我々勤労者ナリ」

作兵衛さんが炭鉱で働き始めた頃から、鉄道の列車が石炭を運び、遠賀川を上り下りして運んでいた川舟は仕事を奪われた。作蔵さんの父親も川舟船頭から炭鉱夫へ転職した一人だった。基幹エネルギーだった石炭も、石油へと代わり、原子力発電へと変遷していく。炭坑で働く男たち、掘り出されれた石炭と土砂を竹籠で担ぎ炭車のハコに入れて運ぶ女たち。どれだけ働いても作兵衛さんの記録画に記された文画の“貧しい”“貧乏”という表現が目につく。

「じいちゃん、こわい」と言っていた孫の井上忠俊さんは、大学に入り自己紹介で筑豊であることを語ったとき、周囲の冷めた視線と雰囲気に気づかされやがて出身地をぼやかすようになった。だが、そうした侮蔑的な空気になぜ恥ずかしい思いをしなければならないのだろう。当時、炭鉱で苦労してきた人たちのおかげで今の私たちの生活があるのだから何ら恥じることはないと思えるようになったのは、作兵衛さんの記録文画が世界記憶遺産になったからだったと思うという。炭坑や社会の底辺を支える仕事に就いている人たちには、なぜか蔑称が陰で囁かれる。作兵衛さんの人柄や記録文画、筑豊炭田のことを語る証言者たちは、描かれている時代だけでなくその本質を見つめている。

作兵衛さんは自伝に「けっきょく、変わったのはほんの表面だけであって、底のほうは少しも変わらなかったのではないでしょうか。日本の炭鉱はそのまま日本という国の縮図のように思われて、胸がいっぱいになります」と記している。実直な作兵衛さんが描き残した記録文画には、社会の底辺層への差別意識や階層の構造の本質など現代の日本の姿にも重なって見えてくる。【遠山清一】

監督:熊谷博子 2018年/日本/111分/ドキュメンタリー/ 配給:オフィス熊谷 2019年5月25日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。
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