宣教師から見た戦時中の日本のキリスト教学校とは? 教育内容「骨抜き」に歯がゆさ 「第27回信州夏期宣教講座」で辻氏講演

「第27回信州夏期宣教講座─日本の宣教史を再考する─」(同実行委員会主催)が8月19、20日、長野県上田市鹿教湯温泉の鹿乃屋で開かれた。今回のテーマは「私たちは天皇の代替わりを見過ごして良いのか?」で、辻直人氏(和光大学教授、同盟基督・金沢中央教会会員)が「戦前キリスト教学校の実態:宣教師と日本人教育者の事例から」、崔勝久(チェ・スング)氏(日韓/韓日反核平和連帯事務局長、在日大韓川崎教会会員)が「在日から見た日本の教会」と題して講演した。本紙では辻氏、崔氏の講演とその後の討論の内容について数回にわたり紹介する。今回は辻氏の講演から。【中田 朗】

辻氏はウィリス・ラマート、湯浅八郎という宣教師、日本人教育者の2人に着目し、戦前から戦時下にかけての日本のキリスト教学校の様子を考察した。
ラマートは米国長老教会宣教師として1919年に来日。最初の赴任地は福井だったが、23年から明治学院高等学部教授に赴任した。「38年に帰国しているが、35年12月に高輪警察署で、不敬罪で取り調べを受けたという『ラマート事件』がその後のキリスト教学校運営に大きな影響を与えた」と語る。
事件の概要については、35年12月19日付ヘラルド・トリビューン紙の記事を紹介。「それによれば、東京でクリスチャン・グラフィックを編集刊行しているラマートは、同誌の最新号において、裕仁天皇の記述に関して権威者が無礼と感じる内容の記事を執筆したため、警察から取り調べを受けたという。警察によれば同誌は出版法違反と考えられ、ラマートは国外追放となる可能性があるとも伝えている」
その様子を知るための史料の一つで、ラマード本人が書いたと思われる国際宣教協議会に送られた「日本におけるキリスト教と国家をめぐる問題についての観察─キリスト教教育における問題に着目して─」(以下「観察」、執筆者は「日本在住のアメリカ人宣教師」とだけ記載)によると「問題の核心は天皇崇拝を時代錯誤と言及したことではなく、天皇を『実に偉大な人間』と述べたことにあった」と辻氏は指摘する。「ラマートは調査官にキリスト論の核心部分を説明することに苦痛を感じていた。その調査官は、一人の人物が人間であり神でもあると信じているとは、キリスト者はなんとばからしい人たちなのか、と驚きを隠さなかったからである。これらの史料から、ラマートは天皇にまつわる何らかの言及が警察当局の目に留まり、警察より尋問を受けた。また、それが原因で雑誌は発禁処分を受けたことが分かる」
帰国後、アメリカで出版されたラマートの著作の中に、大変激しい論調で、日本政府や指導者たちに対する痛烈な告発がつづられているという。「日本の教育については、東洋で最初に教育制度を普及させ識字率97%に達していることを評価する一方、教育内容は『単なる先進的な西洋の技術や技能の修得に留まり、西洋文明の根底を支えている自由、人間らしさ、精神的な要素といった部分を欠いていて、人々の持つ可能性は閉じ込められている』と指摘している。教育勅語については、国家的カルトのマグナカルタと述べ、さらに日本はプロパガンダ首謀者のパラダイスとまで強烈に国家への批判を繰り返している」
「『観察』筆者の宣教師は、日本国内には教育勅語に基づいて一つの宗教が形成されていると批判している」とも指摘。「学校では祝日に勅語奉読の儀式を行わなければならないが、多くのキリスト教学校ではこれを礼拝形式で行い、讃美歌や聖書朗読、祈りと共に儀式の意味が語られている。御真影については、36年夏に教育同盟の指導者(理事長と思われる)が『勅語奉読式をできるかぎり感銘あるものにすると同時に、御真影の下賜を申し出るように助言した』。同時期のキリスト教学校日本人指導者や、学校を支える保護者、理事たちは、文部省の意向に沿うことを重視していた様子が伺える」
このような日本の現状に対し、宣教師は「観察」の中で「日本人キリスト者らの関心は、本土の外にいる人々には理解しがたい特定の考えにすり替えられている」と指摘しているとし、その三つの要因として、①キリスト教界指導者は文民官僚を軍の圧力から守ってくれる「味方」とみなし従っている、②日本人は歴史的に神道を宗教と見なしておらず、信教の自由を侵すような話ではないと考えている、③キリスト教も神道も同じ「神」という単語を彼らのGod(s)を表すのに使っている点が、外部の人間にとって日本人の態度を分かりにくくさせている、を挙げているという。
辻氏は「日本のキリスト教学は政府(文部省)の指示に従順で、キリスト教を市民に広める一定の役割は果たしていた。だが、徐々に教育内容が『骨抜き』にされていくことを、ラマートや『観察』を書いた宣教師は歯がゆい思いで見つめていたのではないか」と私見を述べた。