11月24日号紙面:がんと闘った娘との記録『隣に座って』著者講演 関西牧会塾でグリーフケアセミナー
がんと闘った娘との記録『隣に座って』著者講演 関西牧会塾でグリーフケアセミナー
牧会に携わる人の生涯学習と交わりの場である関西牧会塾(主催・豊田信行牧師=ニューライフキリスト教会)が10月11日、大阪市玉造区の大阪クリスチャンセンターで開催された。テーマは「霊性とグリーフケア」について。
講師は翻訳家の中村佐知さん。中村さんは3年前に家族を亡くした体験を通して、どのような悲しみ(grief)の過程を歩んできたのか、証を交えながら日本でも広く知られるようになってきたグリーフケアの大切さについて語った。
中村さんは、2016年にステージ4の胃がんで在宅ホスピスを受けていた次女の美穂さんを看取った。がんの宣告から11か月、21歳の若さだった。この日々をつづった『隣に座って~スキルス胃がんと戦った娘との11か月』(いのちのことば社)が今秋出版された。
中村さんは当時のことを「亡くなった娘の魂がどこへいったのか、主のみもとで痛みや苦しみからも解放されて至福と平安のうちに休息をしていることは分かっていましたが、それを知っていることと悲しみを感じることは別次元でした。周囲の方々の慰めの言葉に感謝しつつも、その多くは心に響くことはありませんでした。そもそも、子供に先立たれた母親を慰めることのできる言葉なんてあるのでしょうか。安易な言葉や紋切り型の言葉で、この悲しみ、痛みを慰められるだろうと思ってほしくない。誰の言葉も聞きたくない。それは息子ヨセフが亡くなったと思ったヤコブがなぐさめられることを拒んだと記されてあるのと同じようでした」と、振り返った。
また悲しみは、家族の中でも異なる表情をみせたという。それは同じ経験をした夫婦であっても違う。一人ひとりの痛みがあり、悲しみの過程も違っていたと証しした。
けれども、そのような中で中村さんにとって大きな励ましとなったことがある。一つは文章を書いて自分の感情を出すこと、そしてもう一つは霊的同伴者の存在だ。
霊的同伴者は、神様が生活のあらゆる面に存在してくださっていることに気づかせてくれる存在だが、アドバイスをするのでもなく、傍らにいていつも忍耐強く話を聞き、神の前に出るように、祈るようにと導いてくれた。
また、霊的同伴を通して取り組んできたことが、観想的な祈りの実践だ。これは言葉や思考を用いない、神様の臨在の中に静まって身を置く、自分の存在を祈りとしてささげるような祈りだが、これらは美穂さんの病が分かる前から始めていて、療養中もそして亡くなった後も、いつもどこにでもおられる神様の存在を感じさせてくれた。そして静まるだけではなく、ある時は大胆に訴え、またある時はその御腕の中で涙し、「なぜ美穂は亡くなったのか」と、2年半抱え続けた答えの出ない問いを手放すきっかけを与えてくれたという。
「今も悲しみがなくなったわけではなく、胸をかきむしりたくなるような刺すような痛みを感じることはあります。けれども悲しみや、時に襲ってくる後悔や自責の念も無理に否定せずに、それが湧き上がってくる時は受け止めるようにしています。その悲しみも含めて私なのだということを受け入れています。イザヤ書にイエス様も病の人で悲しみを知っていたとありますが、主がそのようなお方であることに深い慰めを感じています。私は悲しみを通して主と一つにさせていただけるのだなと思ったりもします。ですから今は、もう自分の中に悲しみがあることは恐れてはいません。これから年月が経てば、また何かが変わるのかもしれません。悲しみから完全に解放される日も来るのかもしれません。今はまだそれがピンときませんが、いずれにせよ、主とともに歩む道のりであるならば、どんな景色を見ることになってもそれは楽しみだなと思います」と前を向いた。
質疑応答では、「悲しみを抱えた人を前にして、励ましにはならないのだろうと分かってはいても、何かしなければと、話したり祈ったりしてごまかそうとする自分がいる」「特別な学びもしていない自分にできるのだろうか」など、ケアする側からの率直な意見が上がっていた。
中村さんは「娘が自宅で疲れて途中で眠り込んでしまった時に、お見舞いに来てくれていた彼女の友人たちは、帰らずにそのまま傍にいてくれました。それは誰かに教えられたわけではなく、ただ娘をケアする思い、そこにいたいとの思いから自然としたこと。正しくやろうではなく、その人が感じているものを感じようという思いが大事です」と寄り添う大切さを伝え、参加者にあたたかい言葉を送った。
【光野幸恵】