断食祈祷聖会2020 大変動の日本には目が開かれた人必要 神の答えに葛藤 でも祈る

「新しい年を断食と祈りで始めよう」と、今年も「断食祈祷聖会2020」(同実行委員会主催)が1月13日から15日まで、東京・新宿区大久保の東京中央教会で開催された。テーマは昨年に引き続き「21世紀の日本の大変動」で、その上に「目からウロコ─再臨に備えて教会を生み出そう」が加わる。聖会では、小坂嘉嗣氏(日本宣教会・狭山キリスト教会牧師)が「目からウロコ」、米内宏明氏(バプ教会連合・国分寺バプテスト教会牧師)が「聖書と世界は驚きで満ちている」と題してメッセージをした。【中田 朗】

最初に小坂氏はこう語った。「社会そのものが急激に変わりつつあるのは誰の目にも明らか。かつてサタンは光の天使のごとくにわからないよう働いていたが、最近は『悪だろ、それがどうした』と言わんばかりに、大胆に働いている。黙示録と重なる時代に突入しているのではと感じる。このような時代にあって、この世の流れに流され、目が閉じてしまい、見えるものが見えないようなクリスチャンではなく、神の霊を宿した人、目が開かれた人、霊的に備えられた人が必要だ」
使徒9章から、パウロ(9章の時点ではサウロ)がどのように目が開かれていったのか話した。「クリスチャンを迫害していた彼はダマスコ途上で突然、光に照らされ、イエスと出会った。彼の目が開かれた時、自分が何者であるかを知った。彼は『私は使徒の中では最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない』(Ⅰコリント15・9)、『すべての聖徒たちのうちで最も小さな私』(エペソ3・8)、『私はその罪人のかしら』(Ⅰテモテ1・15)と語っている。何をしなければならないかも知った。彼は『わたし(イエス)の名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ選びの器』(使徒9・15)だった」
「私たちは自分が何者であるか、神様に何をしなければならないか、私たちは神様に目を留められ、神様に選ばれ、神の国を受け継ぐ王、神の子であって、キリストにあってこの世に遣わされた者であることを知っているか」と語りかけた。
「聖霊に満たされ、目が開かれたパウロが得た経験は何だったのか。それは自分の義、正しさにしがみついていたことではないか」とも指摘。「自分の努力、頑張りによって、正しさによって神に受け入れられようとしていた。律法による熱心さにおいては、彼の右に出る者はいなかった。彼は自分にしがみつき、自分の正しさを主張することによって神を見失っていた。神の声が聞こえなかった」
「私たちも自分の考え、思い、計画、やり方にしがみついていたら、目は開かれない。聖霊に満たされるには、悔い改め、心砕かれ、自分を放棄し、神様の前に自分を明け渡す以外にない。自分の人生をすべてキリストに預ける道以外には一つもない。御霊に満たされ、神様の恵みにあずかり、キリストのいのちを及ぼす人になってほしい」と招くと、参加者は前に進み出て、ひざまずいて祈った。
米内氏は「男たちは怒ったり言い争ったりせずに、どこででも、きよい手をあげて祈りなさい」(Ⅰテモテ2・8)を挙げ、▽神様に折る、▽この世界で祈る、▽天を見上げて祈る、の三つのポイントで語った。
「『私の武器は祈りです』とマザー・テレサは語った。『祈ったって、どうせ無理』といった人間的な思いを凌駕(りょうが)する力がある。神様への信頼抜きには発しえない言葉だと思った。だが祈りには、祈っても身近な人から理解されないということがある。Ⅰサムエル記1章には、神様に泣いて激しく祈るハンナの姿が描かれているが、祭司エリは『いつまで酔っぱらっているのか』と言った。夫エルカナも彼女の願いを何一つ分かっていなかった」
「祈りの答えとして、自分が見たい景色と神様が見せたい景色が違うということもある。預言者ハバククの祈りは叫びだった。『神様、あなたは私の祈りを聞いてくれない。私の祈りを眺めているだけで、悪しき者に裁きを行わないではないですか』と。すると、神様はこう仰せられた。『わたしは一つの事をあなたがたの時代に行うからだ。それが告げられても、あなたがたは信じない。見よ、わたしはカルデア人を起こす』(ハバクク1・5、6)。神様の答えは、神の民以外の民族を通して業を行うことだった。私たちもクリスチャン以外の人を通して神様の業を行うと聞いた時、葛藤を覚えるのではないか」
「この世界で祈る」では、昨年のラグビーワールドカップ大会で目にした光景を分かち合った。「ラグビーの代表チームの選手が試合の後、フィールドで、祈っている姿が、何度かテレビに映し出された。勝った時だけでなく負けた時にも祈っていた。相手チームの選手と肩を組んで祈る光景も見た。負けた時、ダメな時でも祈れるのは、そんな自分のいるフィールドにイエス様が降りてきてくれたから。勝った時だけ祈りに力があると言うのは、むしろ祈りの価値を下げてしまうことにはならないか」
「天を見上げて祈る」では、詩篇121篇を引用。「詩篇記者は、私の助けは天地を造られたお方から来ると言う。私たちは山のような課題を前に無理と言ってしまいやすいが、そんな時こそ天地の主を仰ぎたい。私たちの主は、私たちが求める以上に私たちを求め、慕い、祈っている。この神様に、もっと大胆に大きく、広く、高く、祈り求めていきたい」と語った。
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その他、講演を川口竜太郎(hi-b.a.代表スタッフ)、金ジンクク(アスリートチャーチ代表)と妻の鈴木まどか、山中正雄(マザーズ・カウンセリング・センター運営委員長)、八束選也(日本CОG・東京ライトハウスチャーチ主任牧師)、田島実(単立・神の家族主イエス・キリスト教会主任牧師)、竿代照夫(インマヌエル綜合伝道団牧師)、松木充(KFG・志木キリスト教会主任牧師)、朝の賛美礼拝を江渕篤史(日本CCC代表スタッフ)、宮川浩二(東京FМ・小金井教会主任牧師)、総括を姫井雅夫(日基教団・赤坂教会牧師)の各氏が務めた。(次号以降で講演内容を一部紹介)