発題に土肥、七條、角田三氏応答 命の言葉を預かっていると… 「基督教共助会」創立100周年記念シンポⅡ②

 昨年、創立100周年を迎えた基督教共助会(以下・共助会)は、昨年に続き2回目の記念シンポジウムⅡ「『伝道の明日』を考える」を1月13日、東京・新宿区戸山の戸山サンライズで開催した。主題は「一つの麦として─今、伝道の担い手に求められていること」。午後は午前中の発題に対し、土肥研一(日基教団・目白町教会牧師)、七條真明(日基教団・高井戸教会牧師)、角田芳子(バプ連盟・日本バプテスト浦和キリスト教会員)の三氏が応答した。(2月9日号で一部既報)【中田 朗】
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土肥氏は、朴大信(パク・テシン)氏(日基教団・松本東教会伝道師)の「言葉と存在が密接につながっている。それが『命の言葉』伝道だ」という問いかけに応答。「『キリストの他自由独立』『主に在る友情』という共助会の二つの標語は表裏一体なんだと朴氏が言っておられ、なるほどと思った。並列と言うより、一つの事柄を二つの方向から光を当てたものではないかと思う」
「目白町教会は1922年2月22日に伝道を開始。この日、共助会創立者の森明を迎え、東京・雑司ヶ谷の下宿屋の2階で十数名の青年たちが最初の礼拝をささげた。説教題は『心から心へ』。森先生はたぶん青年たちに、キリストを与えてくださった父なる神の誠実さに自分を賭けて信頼していくならば、あなたたちは自由だと語ろうとしたのではないか」
編集者でもある土肥氏は、自身が編集した小笠原亮一著『北国の伝道』(日本キリスト教団出版局)の、伝道者・藤田匡について語った説教「罪人の首(かしら)」の一節を紹介。臨終の床にある藤田が弟子の菊池に「キリストの十字架、この他に罪人である私の救いはない。菊池さん、私の代わりにこのことを語ってください」と言う。「小笠原先生もがん闘病中で、自分に重ね合わせながら語っていたのだなと。『私はまだ伝えられるんだ』と思い、神学校に行ったのを覚えている。こういう命の言葉を預かっているんだというのが、午前中のそれぞれの発題だったと受け取った」と語った。
七條氏は、最初にこう語った。「第1回目が教育に関するシンポで、今回はその応答でもあると聞いた。教育現場で苦闘する先生方の様子をうかがい、その背後に教会の責任、すなわち教会が伝道できていない、キリスト者を生み出せていない、若い方たちに福音を伝えてキリスト教学校に送り出せていない、ということが深く関わっていると思わされた」
その上で、高井戸教会付属の角笛幼稚園について触れた。「幼稚園は新宿西口にあった頃から創立70年を経て続けられているが、それが地域の大きな接点になっている。直接伝道ではないが、キリスト教保育が伝道の機会を与え、教会の入口になっているのを感じる。教会員に卒園生、卒園生の保護者が何人かいる。途切れたと思えても、十数年後に教会を訪れる卒園生もいる。今、国の制度の関係、共働きの増加で教会幼稚園も難しい時期を迎えているが、先達が築いてくれたものを失うことがないようにと思っている」
神学校入学が決まり、会社の同僚にそのことを挨拶すると、「大学の時チャペルの礼拝に出ていた」「近くの教会に行っていた」「おばさんが教会の牧師夫人だった」という同僚がいたとも明かした。「160年間かなりの福音の種が蒔かれてきた。クリスチャン人口1%と言われるが、そういう人たちは少なくない。直接刈り取るわけではないが、蒔かれた種はどこかで実を結ぶ。そう考え、地道に歩んでいきたい」と語った。
角田氏は、自身が関わってきた聖学院小学校での体験を分かち合った。「聖学院では、礼拝をささげることを大事にしている。1日の始まりには子どもたちが怪我なく過ごせるように祈り、食事の前には感謝、帰りの時には1日守られた感謝、会議の初めと終わりにも祈るという習慣がついている。就任当時は年10回聖書研究会を持ち、そこにたくさんの方々が集っていた。最後の10年間は教頭職にあり様々な問題に対処したが、その一つ一つに祈りを込めて、自分の最善をしてきたと今も思っている」
所属教会での様々な活動も紹介。「日本バプテスト浦和キリスト教会では、先日亡くなった中村哲さんのペシャワール会に20年支援している。女性会では、テキストを使って1年間、沖縄のために祈っている。私はインドの施設のことを知って、そこの子どもたちに援助している。それぞれが、使命のあるところに参加し、力を注いでいる」と語った。