「伝道の明日」を考えるテーマに伝道師、牧師3人発題 存在のあり様が「言葉の力」の源泉 基督教共助会創立100周年記念シンポⅡ

 昨年創立100周年を迎えた基督教共助会は、昨年に続き第2回目の記念シンポジウムⅡ「『伝道の明日』を考える」を1月13日、東京・新宿区戸山の戸山サンライズで開催した。主題は「一つの麦として─今、伝道の担い手に求められていること」。午前中は朴大信(パク・テシン、日基教団・松本東教会伝道師)、小友睦(日基教団・二戸教会牧師)、木村葉子(ウェスレアン・ホーリネス教団ひばりが丘北教会協力牧師)が発題した。【中田 朗】

朴氏は、伝道者として立つ背景には、20、30代に「言葉の確かさを求める旅路があった」と明かす。「それは『言葉の力』『人を生かす言葉』『命の言葉』であり、言葉の巧みさ、美しさより、その言葉がどこから出て来るものかということ。言葉が伝達手段以上の真実なる力を持つとき、その言葉は語る人のアイデンティティー、存在そのものと深く関わっている。『言葉の力』の源泉は、主なる神のもとに置かれると同時に、いかに生きるかを問う私たち人間の存在のあり様とも関わっているのではないか」
松本東教会創設者、手塚縫蔵の言葉「存在は即ち教育なり」を紹介。「手塚は信徒でありつつ終生伝道者、教育者で、教会でも中心的な働きをした。彼は植村正久に『牧師になれ』と言われたが、『伝道は牧師だけでやれるものではない』と答えた。伝道は牧師や教会の専売特許でなく、キリストのものとされた者すべてが立ち上がっていく。そこに本来の伝道の姿がある。聖書を手にしながら聖書のリアリティを生きていく。『存在は即ち伝道』でもあるのだ。一にも二にもキリストに仕える中で小さなキリストとなり、一粒の麦となって他者の存在そのものの中に響き渡っていく。明日の伝道を考えるとはそういうことではないか」と結んだ。
青森県二戸市で牧会する小友氏は、「旧南部地域における農村伝道の推移とこれから」と題して発題。「1860~90年代に、大主教ニコライの意向でハリストス正教会が馬産業に従事するこの地域の住民に伝道し、かなりの信徒数の教会があった。だが、大日本帝国憲法、教育勅語の制定により迫害が始まり、教会が崩壊。1910年頃から旧日本基督教会が伝道を始め、旧ハリストス正教会の有力な信徒を受け入れた」
30~40年代には二戸圏(岩手県内陸北部+青森県三戸地域)伝道が行われ、50~100人ぐらいの各集落に、多い時には9か所集会所を借り、一つの伝道圏をつくって伝道していたと話す。「当時は家庭集会を中心にした連合的な教会だった。結局一つになってしまったが、私は今後、この伝道圏伝道を重視したい」
「農村伝道には、使徒時代及びガリラヤ伝道(地域家庭集会を教会とする)に戻ることが必要だ」と指摘。「教会はなくなるかもしれないが、農作業や里山体験をしながら御言葉を語り、話し合っていく楽しみに集中していくほうがいい」と語った。
木村氏は、教員時代、都立学校の国旗国歌実施通達による学校弾圧に抵抗し、苦しみの中で退職し牧師になった。この抵抗の教育裁判事務局時代、証人として出会った教員採用試験合格者大学生М氏が、校長面接で「信仰は心だけの問題ではなく、行動も伴う」と主張したという。「100年前、森明牧師は、日本の精神的土台としてキリストの福音が必須だと伝道者となり共助会を創設した。当時、『教育勅語』が、天皇崇拝を国民道徳の基幹とした。敗戦を経た現在も、その精神的影響は色濃く人々や国家指導者に残り、政治や、司法、教育を支配している。私は個人の尊厳、良心・信教の自由の根底を支えるものは、キリストしかいないと確信して牧会している」と木村氏は語った。
午後は発題を受け3人の牧師、信徒が応答。三つの分科会に分かれて分かち合う時ももった。