イースターメッセージ 本当の必要 飯田結樹 札幌ガーデンチャーチ牧師

 1ペテロとヨハネは、午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。

 2すると、生まれつき足の不自由な人が運ばれて来た。この人は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」と呼ばれる宮の門に置いてもらっていた。

 3彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。

 4ペテロは、ヨハネとともにその人を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。

 5彼は何かもらえると期待して、二人に目を注いだ。

 6すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

 7そして彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、

 8躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。使徒の働き3章1〜8節

 

「このお方が救い主だったんだ!」

 

 私は、牧師になる前、銀行マンでした。その時の主な仕事は、一人でいろいろな商品をお客様に提案する営業でした。

 いちばん大切にしていたことは、ニーズ喚起です。ニーズ喚起とは、お客様が本当に必要なものを引き出すこと。売れない営業マンは、自分が提案したい商品をとにかく勧めます。

 しかし、ちゃんとお客様の必要を聞き出せれば、商品を提案する段階で断られることはほぼありません。

むしろ、お客様の方から「ありがとうね」と感謝されることが多かったことを覚えています。

 ニーズ喚起の重要性は、私たちの人生にも言えることです。「人は、自分の本当の必要(ニーズ)に気づいていないことが多い」からです。

 今日の個所に出てくる、足の不自由な人も同じでした。彼は、自分の本当の必要を知らずに、毎日、宮で施しを求める生活を過ごしていたのです。

 そこに、ペテロとヨハネが通り過ぎたので、この男性は施しを求めました。しかし、ペテロとヨハネはこう言うわけです。

 6 すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

 彼はお金がないと聞いてとても失望したことでしょう。しかし、ペテロとヨハネがそのように言って、右手で手を引っ張り上げると彼はどうなりましたか?

 7そして彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、

 8躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。

 イエス・キリストの御名によって、彼の足は完全に癒やされたのです。しかし、ここで、足を癒やすことよりも、もっとすごいことがここで起こっています。彼が生ける神イエス・キリストに出会ったということです。

 8節を聖書に詳しいユダヤ人が見たら、一発で何を言いたいかがわかるでしょう。これは、メシア預言です。つまり救い主なる神がこの世に来られるという預言です。

 彼は癒やされた後、なぜ宮に入っていったのですか? イエス・キリストを褒めたたるためです。

 「そうか! このお方がメシア・救い主だったんだ!」。

 生きて働かれる神に出会ったという感動、魂の満たし、これこそが人間にとって、人生でもっとも必要なことなのです。

 実は、この男性の必要には三つの段階がありました。

 一つ目は、お金が欲しいという必要。

 二つ目は、足が癒やされ歩けるようになるという必要。

 三つ目は、救い主イエス・キリストに出会うという必要。

 一番目に、多くの人々はお金があれば幸せになれると思います。しかし、お金で満たせないものがあることは明らかです。イギリスの世界的ロックバンドクイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーはこう言いました。

   「すべてを手に入れても、いまだ孤独のどん底にいることがどれほど辛(つら)いか想像できるかい?」

 この足の不自由な男性はこの必要にしか気づいていませんでした。

 二番目の段階は、いやい、。でも今、自分が抱えている「この病気」が癒やされたら、家族の中にある「この問題」が解決できたら、私は幸せになる、という考えです。また、この資格を取れば、あの学校にはいったら、あの会社に入ったら、私は幸せになる。

 本当にそうでしょうか?

 良い学校や会社に入っても、次は、安定した生活基盤が欲しい。良い結婚相手が見つかった。すると次は、子どもに良い教育をさせたい。そのためにはお金がもっと必要。ある友だちとの関係が良くなっても、家族の関係、会社の人間関係、ご近所さんとの関係。私たちのニーズが完全に満たされることはないのです。

 有名な数学者パスカルは言いました。

 「人間の心の中には神によってしか埋められない空間がある」

 私たちの本当の必要は何でしょうか? それが三つ目の段階。今も生きておられる神イエス・キリストに出会うという必要です。

今日、考えてみたいと思います。私たちの本当の必要は何でしょう?

 足の不自由な男性のように、一つ目はお金が欲しいという必要。 二つ目は問題を解決したいという必要。これらの必要が、真の必要ではないということです。

 本当の必要、私たちを造られ、命を与えられ、すべての重荷や罪から救うことのできるイエス・キリストに目を向けましょう。

 もしあなたが今、人生で困難を感じているなら。魂に渇きを感じるなら。虚(むな)しさや問題を抱えておられるなら。

 私たちの本当の必要を知り、その必要を埋めることのできるお方、救い主イエス様に出会うチャンスではないでしょうか?

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