【新型コロナ関連】寄稿「礼拝者を育てる教会形成を」 基督兄弟団 ニューコミュニティ牧師 小平牧生

震災で数か月礼拝中断

 今から25年前、阪神淡路大震災の時に震度7の被災地域にあった私たちの教会では、教会堂の建物は無事であったのですが、地域の交通網が完全に不通になってしまいました。教会はもともと交通の便利な場所にあるのですが、JRも私鉄もその線路がズタズタになり、阪神高速道路の高架はご存知のように大きく崩壊し、一般国道は緊急車両以外の車両が通行止めになりました。そのため、近隣に住む方々以外は礼拝に集う交通手段がなくなり、教会の地域に入ることさえできなくなってしまったのです。

礼拝を教えてなかった

 やがて数か月の時が経って人々が礼拝に集うことができるようになった時、私は自分の牧師としてのあり方を大きく探られる経験をしました。

 久しぶりにお会いした方々に「どのような生活をしていましたか」と尋ねてみました。すると、ある方は避難所に住みながらも必要な物資を分かち合ったり、また不安や悲しみの中にある方とともに聖書を読んで祈ってあげたりしていたということでした。ところが、ある方は教会に行くことができなくなったということで礼拝はストップしてしまいました。家族で礼拝をささげることも思いつかず、交通網が回復して礼拝に出席した時になって久しぶりに聖書を開いたと話されたのです。

 がっくりしました。しかし、私はこの方を責める思いになりませんでした。むしろ私自身が築き上げようとしていた教会の現実の姿に気がつかされたのです。私が求めていたのは、日曜日には休まずに教会にやってくるクリスチャンたちであって、どこにあっても主を礼拝するクリスチャンを育てようとはしていなかったのです。礼拝厳守を繰り返して語りながらも、それはただ単に礼拝出席の厳守であって、礼拝のささげ方を教えてはいませんでした。なぜなら、牧師である自分の関心は会堂に集ってくる人の数であって、その一人一人が礼拝者であることではなかったからです。、、、、

4月19日号に全文掲載