真理と和解もたらす「技」 公共、芸術を考える 「不自由」とコモンズ(共有地[知])への応答⑨終

 本連載では芸術と社会、公共性、仮想性などのテーマを見てきた。公共空間は中立にはなりきれず、政治や社会団体が生み出すイデオロギー、消費主義などに支配される実態があった。その中で公共の読み合い、自己規制、単純化と分断が起きる。最近のコロナ禍、日本のSNSの中傷・抗議、香港デモ、米国デモなどにも見られたことだ。

驚くべき希望

 前回見たように芸術、そして宗教には、現状の制度を超える「想像力」がある。宗教には特有の価値と目的があるが、想像力の段階で芸術と結びつく。聖書学者のN・T・ライト氏は「最高の芸術は物事のありように注目するだけでなく」、「物事がどのようになるのかということにも注目」する、「希望と驚きを最も的確に伝えることができるのは、芸術家たち」と述べる『驚くべき希望 天国、復活、教会の使命を再考する』中村佐知訳、あめんどう、2018、写真①

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 シアターコモンズ’20(以下コモンズ20)のトークイベント最終回は「芸術と政治」。あいちトリエンナーレ2019(以下あいトリ19)や香港デモを例に、芸術と政治の葛藤を議論した。

 あいトリ19監督の津田大介氏は、「政治に巻き込まれないように『潜る』ことも大事だが、対峙(たいじ)することで、状況が変わることがある」と述べた。あいトリ19出品作家の高山明氏は、「将来への可能性をもつ『迂(う)回路』のような作品をつくりたい」と述べる一方「偶然に応答する力」の必要性も強調した。

「新潮」2月号、「美術手帖」6月号ではキュンチョメの香港訪問を報告。コモンズ20の各作品報告、トーク映像は同サイトや芸術公社のサイトで見られる

 香港からは夫妻のアートユニット、クララ&ガムが出演。社会性ある作品をユーモアを交えて制作する。2003年には、デモのただ中で結婚式を挙げた。反逃亡犯条例運動に応じて、クララ氏は地方議員選に出馬。議員として芸術を用いた対話の場をつくっている。

 あいトリ19出品作家のユニット、キュンチョメは「『ストレート』と『変化球』の両方がないとアートにならない」と述べた。香港に通い、デモの最前線も見てきた。「あいトリ19でナショナリズムと向き合ってきたつもりだったが、香港の人々を見たとき、涙が出た」と言う。

 キュンチョメがコモンズ20で制作したのは「いちばんやわらかい場所」。着ぐるみで街を歩いたり、対話する参加型パフォーマンスだった。「着ぐるみは個人を閉じる世界だが、匿名だからこそ、集団の中で個を消さずに、弱い部分を話せた」と言う。制作意図を語る中で、「香港の小学生や中学生がぬいぐるみを手にして抗議していた。デモの最前線に柔らかさがあった」と振り返った。

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 社会衝突の中で「柔らかさ」を生むアートの事例はいくつもある。台湾のひまわり学生運動では、立法院(国会)を占拠した学生が、ある歌手に音楽制作を依頼した。注文したテーマは「温柔」(優しい)だった。

 メッセージ性のある作品を突然出現させ、たびたび世界で話題になる美術家のバンクシー(日本で回顧展を開催中)には、

「花束を投げる男」と呼ばれる作品がある。テロリスト風の男が手りゅう弾を投下する素振りで花束を握っている。

Culture Care: Reconnecting With Beauty for Our Common Life

 「文化ケア」を提唱している日系米国人の美術家マコト・フジムラ氏のエピソードも思い出される。貧しい時代に、妻が花束を買ってきたことに憤慨した話だ。妻は「魂のための食べ物も必要」と答えた(“Culture Care: Reconnecting With Beauty for Our Common Life”2017、写真②)。9・11をニューヨークで体験したフジムラ氏だが、「文化ケア」は、分断し、損なわれた文化に「花束を手向けること」と述べる。

 富や力ではなく小さな花が和解をもたらす。時に人を死に追い込むSNSや政治家の発言、デモの過激化の中でキリスト者がいかに「柔らかさ」を示せるか問われる。

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 アートは語源的には幅広い「技」という意味がある。それはぜいたく品ではなく、表面的なノウハウでもない。世界観を批判的に問うものだ。これはあいトリ19が強調し

たこと(連載第1回参照)でもあり、コモンズ20が「演劇をつかう」と言うときに意図するものだろう(連載第2回参照)。

 コロナ禍で様々なレベルでの衝突が露わになり、将来は不安定だ。このときこそ真理を見抜き、人々に和解をもたらす「技」に目を向けたい。イエス・キリストが、人々を「神の国」へ招くために、比喩やリズムカルな表現を用いて語った「山上の垂訓」は、本連載で扱ったテーマへの聖書からの応答となるだろう。最後に2節だけ引用して本連載を閉じよう。

 「なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした」(マタイの福音書 6章28〜29節)。) 【高橋良知