広島 小さいときから平和つくる種を  月下美孝(広島市キリスト教会連盟会長)

年々、「8月6日」「8月9日」と聞いて原爆記念日と答えることができても、広島で、長崎で何が起こったのか知らない人たちが増えている。1945年8月6日午前8時15分、人類最初の原子爆弾が広島に 3日後の8月9日午前11時2分、長崎に投下され、一瞬にして街が破壊され、多くの人が即死。即死を免れた人も直後に起こった火災に巻き込まれ、また、急性放射能障害により亡くなった。
原爆投下直後、「放射能に汚染された広島は生物不毛の地となり、75年間は草木も生えない」と言われてから75年、辛うじて生き延びた被爆者は、障害に悩まされながら「二度と同じようなことを繰り返してはならない。戦争をさせてはならない」と訴え続けてきた。被爆者も高齢化し、ますます被爆の実相を伝えることが困難となっている。昔話になってもおかしくないほどの年月がたったが、しかし、決して忘れてはならない。
2011年3月には、フクシマにおいて原発事故により被曝(ばく)者を生み出し、今なお多くの人々が放射能の不安の中に日々過ごしておられることも忘れてはいけない。原発も核兵器も同じ核。人類と核は共存できない
あの日、私は2歳8か月。的場町(爆心地から1・8km)の自宅(教会・幼稚園)から約4km 離れた戸坂村に父を除いて疎開(避難)した。私には記憶はないが、6日の朝、2歳上の兄と原爆を搭載した爆撃機 B29の爆音に気づき、そしてゆっくりと落下していくものが原爆とも知らず夏空を見上げていたという。その瞬間、私たち兄弟は吹っ飛ばされた。兄は「母ちゃん、太陽が落ちてくる」と叫んだ。、、、、、

2020年8月9日号掲載記事