村瀬氏追悼 聖書信仰と実践に生きた 寄稿・藤本満(インマヌエル高津キリスト教会牧師)

村瀬俊夫先生が8月18日、91年の地上生涯に幕を閉じ、天の父なる神の御許に帰られました。
先生は1953年、戦後の福音派教会の指導者を多く輩出した東京神学塾を卒業。同年、板橋で開拓伝道を開始し、現在の蓮沼キリスト教会(日本長老教会)を2003年に引退されるまで50年間牧会されました。同じく献身の召しを受けていた敬子夫人と結婚されたのは、1958年でした。先生は、57年~2003年の46年間、聖契神学校でギリシャ語と新約聖書解釈学の教鞭を執られました。
戦後、日本の福音派が形成されていく過程で、村瀬先生の存在は大きなものでした。1960年に「福音派」諸教会の中核となる日本プロテスタント信仰同盟(JPC)が結成されたとき、その機関誌「聖書信仰」の編集実務を村瀬先生が担われ、福音派の信仰と神学を形成し、発信してきました。論客であると共に、明晰であり、なおかつ闊達(かったつ)な文才が先生の賜物でした。65年に『新改訳聖書』の新約版が完成します。先生はコリント人への手紙第二、テサロニケ人への手紙第二の翻訳を担当されました。
私が村瀬先生と親交を得たのは、「聖書信仰」についての主張・考え方をご教示いただいた、わずか5年ぐらい前のことです。親子ほどの年齢差がある私に、先生はいつも対等にお付き合いくださり、多くの励ましをいただきました。パソコンを自由に駆使して執筆されていました(奥さまの助けもあったと思います)。でも、いただくお手紙はいつも直筆でした。
80歳を超えても定期的に説教をこなし、「西東京便り」と称して、毎月ご自分の聖書研究の成果を分かち合い、学的探求の勢力は衰えることを知りませんでした。晩年の数年に、連続して、ヨハネの黙示録講解、ヘブル人への手紙講解、今年に入ってガラテヤ人への手紙とヤコブの手紙の講解をいのちのことば社から出版されました。編集を担われた同社の長沢俊夫さんに対して、格別な感謝と、友情をいだいておられたことは書き添えておきたいと思います。
いずれも、神の言葉に向かう研究者としての意気込み、牧会的な愛と配慮、霊的成長を促す励まし、時に悔い改め、そして社会の情勢を意識された、、、、、、

2020年9月6日号掲載記事

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