複合災害下で「新しい宣教協力」 日本ローザンヌ「ビジョンフロンティア」開催

パンデミック、複合災害、「新しい日常」といった状況の中で、どのような宣教協力が可能か。8月24、25日にオンラインで実施された「ビジョンフロンティア」(日本ローザンヌ委員会主催)では、様々な宣教課題と実践例が共有された(セッション2以降は次号以降で掲載)。【高橋良知】

感染リスク抑え地域と接点

同委員長の倉沢正則さん(東京基督教大学特任教授)は「コロナ禍の影響は、生活のあらゆる領域に及び、分断や崩壊の中で連結や革新が求められている。キリスト者はこの状況下でどのような『新しい日常』を生み出せるだろうか。創造的な方法を見出したい」と述べた。企画を担当した同委員の青木勝さんは「今後10年を見据えて毎年『ビジョンリトリート』を実施してきたが、今回はオンラインで『ビジョンフロンティア』としての開催となった。パンデミックの中で、世界中で多くの人が失業し、宣教師派遣が中止になった。『就活』だけでなく、多くの働きの『終活』も迫られている。宣教協力の再定義が必要となっている」と話した。
2日間三つのセッションに分けて、災害支援と地域教会のコロナ禍対応、多文化共生社会における心のバリアフリーを意識した母子ケア、芸術活動、ローザンヌ次世代リーダー大会やアジアの都市宣教、などの取り組みが紹介された。
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セッション1では、キリスト全国災害ネット[全キ災]世話人代表の北野献慈さんが全キ災の経過と展望を報告。全キ災は、今後予想される地震や津波などの大規模災害に備えて災害時に迅速で適切に協力できるための仕組みを全国規模で構築している。第一回会合直後の今年7月には九州地方で豪雨災害が発生し、情報共有、支援協力を展開。新型コロナの感染リスクがある中、「それぞれの団体で動いていたら、様々な問題が起きていただろう」と振り返る。
「複合災害」については、感染症のリスクが従来強調されず、今後の教訓となった。一方で「コロナ禍ゆえに小さく見られがちだが、豪雨などの災害の苦しみは変わらない」と指摘した。
広域の災害支援ネットワークの意義は、各県だけではできない長期的な働きを、人材派遣などで支えられること。「普段から地域とつながる教会があることで、より繊細な支援が実施でき、良い証しになる」と言う。
課題は人材不足だ。海外の団体との連携も模索する。「教会ならではの活動で、愛の心をもって神様の栄光を表す働きをしていきたい」と話した。
九州豪雨に現場で対応した、NPO法人九州キリスト災害支援センター(九キ災)本部長の市來雅伸さんは、熊本県人吉市をベースに活動した。感染リスクがあり、行政や一般の支援組織の対応は慎重だった。それに伴い九キ災も、ボランティア募集の範囲を、県内限定から、九州圏に拡大、再び県内限定…など翻弄された。「ボランティア不足で支援が届かないまま、台風シーズンを迎える」という不安を語った。
支援相談を受けた被災者の窮状を紹介し、「支援をする前提で、どのように感染リスクを最小限にしていくかという考え方をしたい。その前提で検討し、最終的に『できない』と結論づけることはありうる。だが最初から支援しない前提で考えたくない」と話した。
ネットワークについては、「『地域のために働きたい』という教会の思いがあって成り立つ。教会が地域につながっていることが大事。支援で終わりではなく、ずっとつがなる働き」と述べた。災害によって、社会的弱者の存在が明るみに出たことも指摘した。
北野さんと市来さんは質疑に答え、「日頃から自治会長と顔見知りになると、災害支援もスムーズに進む」、その次の段階として地域の防災集会への参加、防災士資格取得について勧め、広域の教会災害支援ネットワークと宣教のビジョンを共有する意義を話した。
東京フリー・メソジスト小金井教会で青少年を担当する牧師の伊藤真人さんは、教会におけるコロナ禍対応について「福音はどんな状況でもグッドニュース。しかし伝え方が変わらないままでいいのか」と話した。
「コロナ禍では、今まで隠れていた問題に新たな光が照らされた」として、教会の分裂の歴史、牧師中心になりがちな傾向などに言及。さらに「『教会に来てもらう』と受け身の伝道ではなかったか。本当は教会が人々のところに出ていかなくてはいけなかったのではないか。一つの教会の成長、グループの成功ではなく、キリストの体のため、イエスの栄光のために働きたい。コロナ禍が教会の本質をとらえなおし、主がすでになさっている働きを受け止める機会になれば幸い」と述べた。
礼拝のYoutube配信ほか、従来の集会、食事会、筋トレミニストリー、英会話講座などをZoomで実施し、「今まで考えていなかった可能性が広がった」と言う。キャンプもオンラインで実施し例年以上の参加者が集った。結婚カウンセリングの働きをオンラインにすると相談者は海外にまで広がった。
「やがて『新しい日常』にもみな慣れてくるだろう。しかし、形が変わっても本質的に同じ問題が残るのではないか。教会に集まる意味、人々に仕え、神の愛を分かち合うこと、キリストの弟子として成長することなど、災害のときだけではなく、普段の教会の在り方が問われる。イエスが命懸けで取り戻した本来の教会の姿を目指し、新しい教会、ミニストリーを探っていきたい」と語った。(つづく)