10月11日号紙面:いのちのことば社 70周年記念 ●クリスマス伝道
いのちのことば社 70周年記念事業 ●クリスマス伝道
クリスチャンにとって、クリスマスは特別な日です。それはいのちのことば社にとっても同様ですが、また違った意味合いでも特別です。用品・グッズを扱う制作局では、春の訪れとともにクリスマスの商品を考え、制作発注した商品が入荷してくる今の時期は、1年で一番忙しいクリスマスに向けての準備の時となります。他の部署も似たり寄ったりで、電話、ファックス、メールが増大するこれからの時期を戦々恐々、そして喜々として迎えます。そんな大切な(忙しい)時ですが、いのちのことば社の歴史をひもといても、記録として残されている資料の中に、「クリスマス」の文字を見つけることは皆無と言ってよいほどで、クリスマス礼拝の記録さえ見えません。それほど当然のように70年にわたって、クリスマスを迎えてきましたが、今年も礼拝は持たれます。そして今年も、主イエスのご降誕を祝うために、またその事実を伝えていただくために、様々な商品を用意しました。伝道アイテムを中心に、その一部を紙面でご紹介します。
手渡された一枚のトラクトは?
いのちのことば社の文書伝道の働きは、世界でも群を抜く日本の識字率の高さに注目した、一人の宣教師のビジョンから始まりました。いわく〝一枚の文書が人生を変える〟。今までこの日本でどれくらいのトラクトが配られてきたことでしょう。世界中で何人の人が、小さな冊子を受け取ったのでしょう。
夏の暑い最中に、一軒一軒訪ね歩いて届けました。いつの間にか見覚えのある道に出て、〝この家は確か、さっき入れたはずだ、でももしそうでなかったら、この家の人は救いから漏れるかもしれない…〟と不安になったことも。1階にポストの集まっている高層マンションは、あっという間に手持ちの枚数が無くなって効率がいいと、内心喜んでいたのも今は昔。最近は、セキュリティーが固くて、ポストまでたどり着けなかったり、ポストは手の届くところに見えていても、〝チラシ投函お断り〟の大きな貼り紙が行く手を阻んだり。配布の途中で出会った親子に、勇気を振り絞って〝この近くの教会です〟と声をかけて手渡したこともありました。
あの日渡した1枚のトラクトはどうなったのでしょう。私に代わって福音を語ってくれたのでしょうか。今まで世界中で必死の思いで手渡されてきた小さな紙片は、どうしているのでしょう。きっと、聞く耳のある人に語っています。不思議なことなのですが、それは私が神様に出会ったのと同じように不思議なことです。文書が語りだす時が来ます。水の上に投げられたパンを見つけるのは、あなたではないかもしれない。でもそれが誰であれ、投げられなかったパンが見出されることなど、決してないのです。
人を通して表される神の愛
★いろいろなクリスチャンがいます。十人十色とはよく言ったものですが、当然と言えば当然です。神様は人間を、一人一人他に同じ人はいないように作られたのですから。様々な分野でクリスチャンは活躍していますが、〝こんな人がこんなところに!〟と驚くのは、ひとえにクリスチャンの絶対数が、日本では圧倒的に少ないからなのでしょう。でもその分野で活躍している人は他にもたくさんいるわけで、もしかしたら、あなたの周りにも、同じ分野でがんばっている人がいるかもしれません。
活躍の場は違っていても、同じ神様を信じる人たちには、同じように見られる何かがあるはずです。あなたが神様のことを伝えたいと思っているあの人なら、そのことに気付いてくれるのではないでしょうか。
手渡す時にはどんな一言を掛けましょう。数行の手紙を添えるのもいいかもしれません。これはやはり自筆です。どんな言葉を掛けようか、何を書こうかと考える時は、その人のことを思い巡らす時です。その時あなたに訪れる幸せもきっとあるに違いありません。何気ない一言が、思いがけず心に残ることもあります。その時伝わるものは、何よりもその人を思う、あなたの気持ちなのかもしれません。
聖書のエッセンスを贈る
★聖書が〝ダイジェスト〟でいいのでしょうか。神様ご自身が、〝ダイジェスト版〟になってしまいそうです。でも、そんなことを言ったところで、自分自身がどれだけ神様のことを知っているのだろうかと、あらためて思わされます。人間の思いをはるかに超えた神様、とはよく言いますが、確かに私たちが知っているのは神様のほんの一部、断片の寄せ集めなのでしょう。でも一つひとつの断片を通して、神様はご自身の私たちに対する思いを、分からせてくださっているのだと思います。
ダイジェスト=断片の一つひとつが神様ご自身を語ります。一行の聖句が、決定的な救いをもたらしたことを、私たちはどれだけ聞いたことでしょうか。
聖書を読むのは〝初めての人〟が知ることのできるのは、ダイジェストであっても、そこにご自身のすべてを現そうとされる神様の私たちへの思いです。
良きおとずれ 愛をこめて プレゼント
人間は、つくづく肉体を持った存在なのだと思います。子どもに触れずに行う子育てなど、ありえません。霊的な成長も肉体を通してなされるのかもしれません。リアルなものがバーチャルなものに置き換えられて何事もなく過ぎて行き、それがむしろ便利なことに思われ、実際その恩恵に浴している私たちです。でも、常に実体を忘れずにいようと思います。
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子どもの成長に五感からの刺激が大切なことはよく聞きますが、それは大人になっても同じかもしれません。
思いがけない感染症の拡大で、外出もはばかられ、家で過ごすことが多くなりました。特に子どもにとっては、大人以上にストレスのかかっている時なのでしょう。そんな時だからこそ、お子さんと、お孫さんと過ごす時間をより豊かなものにしていただきたいと願っています。一緒に同じものを手に取り、同じものを見つめて過ごす時間は、意外に限られているのかもしれません。
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子どもたちは、いずれ成長して、この頃のことを思い出す時が来るでしょう。忘れていても、何かの拍子に思い出すこともあるかもしれません。その時、何を思い出してくれるのか。それが神様への思いにつながっているなら、何と感謝なことではないでしょうか。