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黒沢清監督が、北野武監督(「座頭市」2003年)から17年ぶりに第77回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞した話題作。太平洋戦争開戦前夜を時代背景にスパイの嫌疑をかけられつつある貿易会社を経営する夫を信じ支えようとする妻とのミステリアスな愛情物語。コスモポリタンであることを自認し自らの理念を曲げずに生き抜こうとする夫の意気地を、どんな情況になっても信じてついていこうと決心する妻の気概。“自分らしさ”に生きることの大切さとともに覚悟の要ることが、日中戦争が起こり緊迫した情況に殺人事件が絡むサスペンスフルなストーリー展開のなかで見事に描いている。

日中戦争の満州で夫
が見た関東軍の機密

1940年。福原優作(高橋一生)が経営する貿易会社・福原物産に、憲兵分隊長を任命された津森泰治(東出昌大)が挨拶訪問にやってきた。優作の妻・聡子(蒼井優)と幼なじみの津森は、挨拶もそこそこに生糸貿易で優作と付き合いのあるベルモンドを諜報員の疑いで逮捕した。聡子のためにも人付き合いには注意してほしいと優作に勧告して引き上げる。後日、優作は罰金を支払いベルモンドの釈放を手助けし、ベルモンドは上海へ旅立った。

優作は、戦火が激しくなる前に中国大陸で仕入れをしておきたい聡子に告げ、社員で甥の竹下文雄(坂東龍汰)を連れて一か月の予定で満州へ渡る。予定より二週間ほど長引いて帰国した優作。同行した竹下だけではなく一人の女性・草壁弘子(玄理)を伴っていた。その年の暮。福原物産の仕事納めで聡子を主演に優作が撮ったショートフィルムを披露し、盛り上がる。上映後、竹下が会社を辞め、小説を書くことに専念すると挨拶。納会を打ち上げ一息つくと、優作は聡子に「僕はアメリカへ行くかもしれない」と聡子にもらす。日米関係が緊迫する情況でアメリカを見ておきたいという。

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竹下が籠った旅館には、満州から連れてきた草壁弘子が優作の口利きで仲居として勤めている。ところが、草壁弘子の水死体が埠頭で発見された。憲兵隊では優作が草壁弘子を連れてきたことを把握しており、部下だった竹下には特別高等警察(特高)の監視も付いた。津森泰治に憲兵隊に呼び出された聡子は、草壁弘子の事件に優作がかかわっていることで尋問され自分の知らない二人の関係に疑念を抱く。優作に弘子との関係を問い質すと「やましいことは何もない。僕を信るのか、信じないのか」とだけ問い返す優作。聡子が旅館に竹下を訪ねると、人が変わったような竹下の風貌。竹下は茶封筒に入ったノートらしいものを聡子に渡し、「叔父さんには、英訳は終わったとだけ伝言を」と告げる。竹下から預かったノートを優作に渡す聡子に、優作は満州で見た国家機密に関する出来事とノートとの関係を話し始める…。

太平洋戦争へと突き進む全体主義の風潮
自分の信念と価値観を貫こうとする夫婦

コスモポリタンを自認する優作は、関東軍が支配する中国での非人道的な戦略構想の実験を察知し、すべての人間は尊重されるべきとする世界市民主義の信念を貫こうと行動する。聡子は夫との幸福な生活を全うすることを願いどこまでも信じてついて生きようとする決心は変わらない。優作の甥・木下の叔父夫婦を守ろうとする気概。個人としての在り方を選択する三人の生き方相互にも信頼関係と疑心暗鬼とが複雑に絡む。戦争へ突き進む時代に西洋的な生活文化を崩さない優作・聡子夫妻を注視し、優作の不穏な動きにスパイ活動の嫌疑を深める憲兵隊分隊長の津森泰治。当時のセリフ回しと様式美にいくつかの事件がサスペンスの渦へと引き込み飽きさせないストーリ展開に魅せられる。

ハイソサエティな優作・聡子夫婦を取り巻く社会と個人との相克。21世の日本は、戦前回帰を想起させられる法律が成立し、同調圧力の重苦しさが強まりつつあるなかで、優作や聡子が貫こうとした個人の信念と自由を抱ける情況にあるのだろうか。太平洋戦争前夜に重点を置き、敗戦までを生き抜いた聡子のラストシークエンスが観る者に問いかけて来る。【遠山清一】

監督:黒沢清 2020年/日本/115分/R指定:G/英題:Wife of a Spy 配給:ビターズ・エンド 2020年10月16日[金]より全国ロードショー。
公式サイト http://wos.bitters.co.jp
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*AWARD*
2020年:第77回ベネチア国際映画祭銀獅子賞(最優秀監督賞:黒沢清)受賞。第68回 サンセバスチャン国際映画祭正式出品。