文書伝道の火灯し半世紀 ライフセンター那覇書店 伝道と育成に教会と手を携え

1970年9月1日、ライフセンター那覇書店は、地元教会の牧師らの協力のもと、那覇市・国際通りの裏通りで産声を上げた。当時、東京から本を送るのに、船便で2週間もかかっていた。立地は決して良くなかったが、那覇市に店舗を構えられたことは大きな一歩だった。

新装した現在のライフセンター那覇書店

初代店長は新潟の聖書学校を卒業したばかりの嶺井悦子さん。いのちのことば社創立者の故ケネス・マクビーティ宣教師は当時の状況を「彼女は新しく植えられた『木』がこの地に根付くまで、マネージャーとしてプレッシャーや失望とよく戦ってくれた」と、社史に感謝を込めて振り返っている。
やがて町の中心部に位置する沖縄福音会館1階フロアに居を移して、ライフセンターは躍進していく。
73年に2代目店長に就任した兼島義男さんは「店で待っているだけではお客さんは来ない」と、県内の教会を回って営業を始めた。新刊の紹介をして、注文を取る。さらにその品物を届けて回る。1日10軒以上の教会を訪問していた。
当時沖縄には150〜160の教会があった。県内のクリスチャン率3%と言われ、人口比率で日本一教会数の多い県だ。
「せっかくいい場所に店があるのだから、なんとかしてお客さんに来てほしいと考えました。超教派の働きという利点を生かしてできることはないか、教役者会にも顔を出してニーズを聞いたりしていました」
教会学校(CS)教師の勉強する場がないという問題があることを知り、CS教師研修会を開催することに決めた。南部、中部、北部の3か所で研修会を開き、1か所あたり50〜60人が集まり喜ばれた。おかげでCS関連の書籍やグッズを買いにくるお客さんが増えていった。

1988年頃の店内。後列左から兼島さん、惣慶さん、又吉邦子さん

その後ライフセンターは教会を巻き込んで数々のイベントを開催していく。福音歌手の草分け、胡美芳さんのコンサートや、著名人をゲストに迎えた婦人ランチョンなど、地域の団体とも連携したイベントは活況を呈した。小坂忠さんを呼んでゴスペルコンサートを開催すると、千500人のホールに若者が詰めかけ、ライフセンターに若い客層を呼ぶきっかけになった。ビジネスマン伝道や「塩狩峠」「海嶺」等の映画会も好評で、幅広い年齢層にライフセンターの存在は浸透していった。
「イベントを通してクリスチャン同士のつながりが強められました。沖縄の教会はみんな一生懸命伝道しています。でも、小さいからできないことが多い。ライフセンターの呼び掛けに教会が応えて、協力し合ってできたことです」
文書伝道とは何かをずっと考えてやってきたと、兼島さん。本離れの時代に危機感を抱くが、クリスチャンにとって何をおいても本は大切だと確信している。
「クリスチャンの霊性を支え、成長のお手伝いをするために、地域に一つはキリスト教書店が必要だと思います。信仰に自信を失って悩む人に、ある本を勧めたらとても喜ばれたことが何度もあります。文書伝道者としていちばんの喜びです」

インストアライブ

兼島さんの後を継いで91年に店長に就任したのは、2011年に病気で亡くなった惣慶(そけい)毅さんだ。惣慶さんは移動販売車ゴスペルボックスの発案者。沖縄は離島が多いため、店に行かなくても本やグッズが買えるゴスペルボックスは大歓迎された。
妻の美智子さんは「主人は文書伝道に情熱を注ぎ、いつも忙しく飛び回っていました。主人亡き後に牧師さん方に、惣慶さんにこんな本を勧められた、などと懐かしんでいただいています」と話す。
今年建物がリニューアルして、ライフセンターは新たなスタートを切った。「40年間欠かさず信仰雑誌を買いに来ています」「本の種類が多くて、スタッフもていねいで、いつも利用させてもらっています。コロナがおさまったら、またインストアライブなど楽しみにしています」という常連さんたちに支えられて、ライフセンター那覇書店は51年目に踏み出した。