清野氏 土浦めぐみ教会での聖餐礼拝の試み紹介 聖餐式にいのち吹き込む 聖餐式は説教に対する応答の儀式に FCC教職特別セミナー

東京基督教大学(TCU)卒業生のための継続プログラム「FCC教会教職特別セミナー」(TCU主催)が1月25日、オンラインで開催された。講師の清野勝男子氏(日本同盟基督教団土浦めぐみ教会顧問牧師、TCU非常勤講師)が「聖餐式考(聖餐式にいのちを吹き込む試み)」と題し、土浦めぐみ教会で取り組んできた聖餐式礼拝について紹介した。【中田 朗】

最初に、今回の講演意図についてこう語る。「教職50年の間、聖餐式を何百回もやってきたが、『聖餐式はこれでいいのだろうか』と悪戦苦闘してきた。そして土浦めぐみ教会の牧師を務める中の最後の13年間、あるきっかけで聖餐式を大きく変えたいと思い、いろんな試みをしてきた。それを紹介したい」。その上で、聖餐式の現状と、清野氏師自身の聖餐式の変遷について話した。

清野勝男子氏

清野氏が土浦めぐみ教会に赴任した時は礼拝出席者が100人で、毎月第一主日の聖餐式は所属教団の式文に従っていた。2000年頃から新来会者の増加に直面する。聖餐式はクリスチャン限定のため、信徒と新来会者の識別に苦労する。献金や聖餐式の際には丁寧な説明を加えたが、限界を感じたという。
「キリスト教会は初代教会の時代から今日まで、それぞれの社会や文化に適応した様々な形態の聖餐式が行われてきた。とは言え、その内実はどうだったか。その形態と内実において、主の御心に沿って遂行されているだろうか。礼拝式中、短時間でなされる聖餐式は、果たして地域教会の形成や信徒教育に生かされていたのか。当時の私は大きな疑問を感じながら司式していた」
「芳賀氏の著書『洗礼から聖餐へ』を読むと『現代の教会、形式化した礼拝の貧困によって生気を奪われている』と指摘する。そして形式主義化した聖礼典に命を吹き込むために、救いの出来事を物語る説教の力が聖礼典のある礼拝の中で回復される、その御言葉の説教が続いて行われる聖礼典へと連続していく、聖礼典とは何かという学びが受洗後の教会生活でも続けられる、の三つを提案していた」
2005年、聖餐式の改革に着手。「説教後に追加する短い儀式ではなく、信徒にとっては慰めと励まし、クリスチャンでない人には見えない神の恩恵が見えるように、礼拝全体を聖餐礼拝にした。説教は年間テーマを決め、4回シリーズで聖餐式の意味を説き、聖餐式はその説教に対する応答の儀式となった」
回数を年4回(初年度の05年は3回)にしたのは、「内容豊かな聖餐礼拝を企画遂行するには、年12回は多すぎると感じた」ためだ。「聖餐式の回数においては、教会によっていろいろだった。式文集や参考文献を探ってみたが、聖餐式の明確な回数の根拠は発見できなかった」とも言う。

清野氏の自著『聖餐式考』

「聖餐式は見えない神の恩恵の見える徴」というカルヴァンの言葉を積極的に受け止め、「聖餐式を信者だけに限定せず、未信者のいる朝礼拝で挙行すべきと判断した」。受餐の前には、クリスチャンでない人たちを配慮し、こう語りかけた。「この儀式はまだクリスチャンでない方々への、神からの眼に見える招待状です。この聖餐式を見る皆さんは誰でも神様から招かれているのです。一日でも早くこの招待状を受け取り、クリスチャンになって一緒に聖餐にあずかる日が来ることを祈ります」
05年の4月から開始。聖餐礼拝年間テーマは「聖餐の意味、過去、現在、未来」で、それを解説する3回の聖餐礼拝となった。1回目(4月)は「私を覚えて」=過去に向かう聖餐の意味、救い主の死を記念し想う、2回目(9月)は「サクラメント」=現在における聖餐の意味、サクラメントは誓約の儀式、3回目(12月)は「天の披露宴」=未来に向かう聖餐の意味、やがての天の披露宴。以後、「文書シリーズ」(07年)、「この世に提供されるパン」(10年)、「この杯が飲めますか」(12年、ヘンリー・ナウエンの著書から)、「光といのち」(16~18年)、トマス・ア・ケンピス著『キリストに倣いて』)など、年間テーマと4回の企画案を立てて行ってきた。
参考例として、17年11月19日に行われた聖餐礼拝「落伍者の救い」の様子を録音で聞いた。聖書個所はヨハネの福音書5章1~9節、ベデスダの池の男の物語だ。礼拝では「私たちもこれから始まる聖餐礼拝において、光と食物をいただきましょう。喜ばしい福音に出会って、人生が変えられた人物の出来事から、生きる指針、光をいただきましょう」と語りかける。聖書朗読、説教、説教主題を聖歌隊が賛美し、説教と連動した招きの詞(ことば)で分餐をするプログラムだった。
「信徒の中に作曲者がおり、毎回、説教のまとめに曲をつけてもらっている。奏楽者、朗読者など賜物をもった方にもお願いし、教会全体で一つの作品を作り上げるように準備している。年4回ならば準備の時間が取れ、教会独自の心に迫るような聖餐礼拝式ができる。皆さんの教会でも、同じようにできなくても、いろいろ試みていく時に、その教会独自の心に迫る聖餐礼拝式ができるのではないか」と、その教会独自の聖餐礼拝にチャレンジしてみることを勧めた。
説教と聖餐式が連動し、神の恩恵がより身近に感じられるこのような取り組みが今後、さらに日本各地の教会に広がることを期待したい。
清野勝男子著『「わたしを覚えてこれを行え」聖餐式考 聖餐式にいのちを吹き込む実践の記録』が2月、IPC出版センターから出版される。本の中にあるQRコードを用いて、当時のドラマティックな聖餐礼拝の全体を聞くことができる。